はじめに
「人はつねに自分の幸福を望むものだが、つねに幸福を見分けることができるわけではない」。ルソーの名言として流通するこの日本語には、『社会契約論』第2編第3章の明確な原典があります。
ただし原文の bien は、ここでは個人的な「幸福」だけを語っているわけではありません。文脈は一般意志と公共の善、そして人々の判断が誤りうることです。
一般意志は正しいが、判断は誤りうる
ルソーは、一般意志は公共の利益へ向かうとしつつ、人々の審議が常に正しいとは限らないと述べます。「われわれは常に自分たちの善を望むが、それが何かを常に見ているわけではない」という文章は、その説明として置かれています。
つまり「自分にとって本当の幸せを見つけよう」という幸福論ではなく、善を望むことと、何が善かを正しく判断できることは別だという政治哲学上の区別です。
まとめ
原典は真正ですが、日本語で「幸福」とだけ訳すと個人の人生論へ見えやすくなります。
望みが善へ向いていることと、判断が正しいことは同じではない。『社会契約論』では、公共的な意思決定の難しさを論じる一節です。
原典:ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』1762年版、第2編第3章「一般意志は誤りうるか」。当該箇所は “On veut toujours son bien, mais on ne le voit pas toujours” と記されます。直前では一般意志と公共の利益、直後では人民が欺かれる可能性を論じています。流通訳の「自分の幸福」は個人の気分だけを表す訳として読むと、文脈を狭めるおそれがあります。原文・章節まで照合済みですが、特定の既存日本語訳の初出・翻訳者は未確認です。
『社会契約論』の文脈で読む: 『社会契約論』作品ガイドでは、自由・一般意志・公共の善をつなげて解説しています。ルソーの人物ガイドでは、『エミール』との違いも確認できます。ここでいうフランス語の bien は公共的な善をめぐる政治思想の文脈にあり、単純な個人の幸福論へ置き換えないことが大切です。翻訳上の留保は原典注記に従ってください。