岡倉天心「おのれに存する偉大なるものの小を…」|『茶の本』原文と本当の意味

「おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。」は、岡倉天心(岡倉覚三)の『茶の本』に確認できる言葉です。

ただし、ここには大事な注意があります。『茶の本』は岡倉天心が英語で書いた本で、この日本語は村岡博による翻訳です。英語原文と照らすと、旧記事の解釈にはかなり大きなズレがありました。

英語原文は『The Book of Tea』第1章

Project Gutenbergで公開されている原文では、次の趣旨の英文が確認できます。

Those who cannot feel the littleness of great things in themselves are apt to overlook the greatness of little things in others.

構造は対照的です。自分の中の「大きなもの」の小ささを感じ取れない人は、他人の中の「小さなもの」の大きさを見落としやすい、という意味です。

旧記事は意味をほぼ逆向きに読んでいた

旧記事では、「自分の中の小さな努力や才能に偉大さを見出せなければ、他人の小さな長所にも気づけない」という自己肯定の言葉として説明していました。

しかし原文の the littleness of great things in themselves は、「自分にある偉大なものの中の小ささ」を指します。むしろ、自分自身や自文化を大きく見すぎる人ほど、他者の小さく見えるものの価値を見落とすという批評です。

前後は「西洋から見た茶道」の話

この一文の直後で岡倉は、西洋人が茶の湯を東洋の奇妙で幼稚な習慣として笑う一方、日本が戦争で大量殺戮を始めると「文明国」と呼ぶ、と皮肉を込めて書いています。

つまりこの言葉は、単なる人間関係の教訓ではありません。自分たちの「大きさ」を絶対視し、他文化の小さく見える価値を理解できない態度への批判という文脈に置かれています。

なぜ『茶の本』でこの話をするのか

岡倉は、茶という小さな営みの中に、美、礼節、思想、生活の技法が凝縮されていると考えました。

一見すると些細なものの中にも大きな価値がある。それを見るためには、自分が「偉大だ」と思っているものも相対化しなければならない。この一文は、『茶の本』全体の問題意識ともつながっています。

現代に引き寄せるなら

会社、文化、専門分野、世代など、自分が属する集団の常識を「大きなもの」と見なしすぎると、他者の小さな工夫や価値を見落とすことがあります。

この言葉を現代に使うなら、「自分の小さな長所を褒めよう」というより、自分側の偉大さを疑い、他者側の小ささの中に価値を探すという読みの方が原典に近いでしょう。

確認した資料

出典状態:出典確認済み。 日本語は岡倉自身の日本語原文ではなく、英語著作の村岡博訳として扱います。

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