私は、昔から言葉を集めています。
本を読んでいて立ち止まった一文。誰かの話の中で妙に残った言葉。うまくいかない時期に、何度も読み返した言葉。
忘れたくないと思ったものを、そのたびに記録してきました。
このサイトに大量の名言や格言の記事があるのも、その習慣の延長です。
ただ、長く言葉を集めてきて、考え方は少し変わりました。
昔は、言葉の中に「答え」を探していた
迷っているとき、強い言葉は魅力的です。
「こう生きればいい」「失敗を恐れるな」「努力すれば報われる」。短い言葉は複雑な世界を一瞬で整理してくれます。
私自身、そういう言葉に何度も助けられてきました。
一方で、人生を重ねるほど、一つの言葉だけでは説明できないことも増えました。
努力してもうまくいかないことがあります。逃げた方がいい場面もあります。昨日の自分を救った言葉が、今日の自分には窮屈に感じることもあります。
言葉は答えそのものではない。
今はそう思っています。
それでも、言葉を集めるのをやめなかった
答えではないのなら、なぜ今も言葉を集めるのか。
たぶん、言葉には、自分の中にあるものへ輪郭を与える力があるからです。
なんとなく苦しい。何かがおかしい。どうしても決められない。
そんな曖昧な感覚を抱えているとき、誰かの一文に触れて、「自分が考えていたのはこれだったのか」と気づくことがあります。
言葉が問題を解決したわけではありません。
でも、考えるための足場を一つ置いてくれた。
私にとって名言や格言の価値は、そこにあります。
同じ言葉でも、読む時期によって意味が変わる
昔記録した言葉を、何年か経ってから読み返すことがあります。
すると、以前とはまったく違って見えることがあります。
言葉が変わったわけではありません。
読む側が変わったのです。
仕事を始める前と、働き始めた後。うまくいっている時と、立ち止まっている時。何かを手に入れる前と、手に入れた後。
経験が増えると、同じ一文から拾うものが変わります。
だから私は、一度読んだ本を読み返すことにも、昔集めた言葉を見返すことにも意味があると思っています。
短い言葉ほど、出典を大切にしたい
このサイトを長く運営する中で、もう一つ気づいたことがあります。
インターネット上の名言は、必ずしも本人が実際に語ったものとは限りません。
有名人の名前と一緒に何度も転載されるうちに、出典が分からなくなった言葉もあります。翻訳によって意味が変わっているものもあります。
以前の私は、言葉そのものの良さを優先して、出典を十分に確かめないまま紹介してしまったこともありました。
今は、それではいけないと思っています。
誰の言葉なのか。どこで語られたのか。確認できないなら、確認できないと書く。
言葉を大切にするなら、その言葉の来歴も大切にしたい。
そのため、過去に公開した名言記事も少しずつ見直しています。
名言は、従うものではなく対話するもの
どれだけ偉大な人物の言葉でも、自分の人生にそのまま当てはめる必要はありません。
「本当にそうだろうか」「今の自分には当てはまるだろうか」「反対の立場から見たらどうだろう」。
そうやって言葉と対話する方が、ただ信じるより面白い。
ある言葉に励まされてもいいし、反発してもいい。数年後に考えが変わってもいい。
言葉は人生を代わりに決めてくれるものではなく、自分で考えるための材料です。
だから、このサイトに言葉を残している
「都会の喧騒から」という名前には、忙しい日常から少し離れて、考える時間をつくりたいという感覚があります。
仕事をして、生活をして、情報を浴び続けていると、自分が何を考えていたのかさえ分からなくなることがあります。
そんなとき、一つの言葉を入口に立ち止まる。
それが、このサイトの名言記事の役割であればいいと思っています。
人生を変える魔法の言葉を集めたいわけではありません。
自分の人生について、もう一度考え始めるきっかけになる言葉を残したい。
昔から続けてきた「言葉を集める」という習慣を、今はそんなふうに捉えています。