はじめに
「無責任とは良心の欠如ではなく、自らの判断を変えないことに固執することである。」この言葉はカント名義で紹介されています。
しかし今回、カントの主要著作や引用資料を確認した範囲では、この日本語に対応する確実な原典を特定できませんでした。そのため、カント本人の名言と断定せず「要検証」とします。
旧記事の説明にも注意が必要
旧記事では、この言葉をカントの発言としたうえで、「責任とは状況に応じて柔軟に判断を変えることだ」と説明していました。
しかし出典が確認できない以上、その説明までカント本人の倫理思想として帰属させることはできません。特にカント倫理学を「固定した信念にこだわらず柔軟に変える思想」と一言で要約するのは慎重であるべきです。
カント本人は良心をどう考えたのか
一方、カントが良心について論じた確実な文章はあります。1793年刊『単なる理性の限界内の宗教』第4篇の「信仰に関する事柄で良心を導くもの」という節で、良心を自分の判断の仕方をさらに審理する道徳的な能力として説明します。『単なる理性の限界内の宗教』英訳の該当章、Stanford Encyclopedia of Philosophy の研究解説を参照できます。
つまりカントにとって良心は、単に「自分は善人だ」と感じることではなく、自分の行為について自分自身を審理するような働きを持っています。カントはその節で、宗教的な確信に固執する審問官の例を挙げ、信じているというだけで他者を処罰する判断の確実性を問います。ただし、それを「一度決めた判断を変えないことが無責任だ」という流通する日本語の逐語的な原典とすることはできません。
似たテーマと「本人の言葉」を混同しない
責任、判断、良心は確かにカント哲学に存在する重要な主題です。しかし、その人が関連する主題について論じていることと、ネット上の短い一文を実際に書いたことは別です。
思想内容がそれらしく見えるだけで出典不明の文章を補強すると、後から「カントらしいからカントの名言」という循環が生まれてしまいます。
まとめ
「無責任とは良心の欠如ではなく、自らの判断を変えないことに固執することである」は、今回の調査ではカントの確実な原典を確認できませんでした。判定は要検証です。
カント自身の良心論を知りたい場合は、出典不明の短文ではなく、良心を「自らを裁く道徳的判断力」として論じた本人の文章へ戻る方が確実です。
出典状態:要検証(カント名義の短文の原典未確認)。比較できる本人著作:Kant, Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(1793年), 第4篇、良心に関する節。カント人物ページとあわせて読むと、出典を確かめられる倫理論と、後世の流通句を区別できます。現在の日本語定型句を最初に書いた人物や、カント名義で広まった経路は未特定です。
カントを人物から読む
イマヌエル・カント人物ページでは、『純粋理性批判』『判断力批判』『人倫の形而上学』『人間学』を横断し、本人の文章・他者引用・後世の要約・出典未確認を区別して読めます。