「できること、夢見ることがあれば始めよ」はゲーテの言葉?|引用の由来をたどる

「始めなさい。大胆さには天才と力と魔法がある」は、そのままゲーテの文章ではない

「あなたにできること、あるいは夢見ていることがあれば、今すぐ始めなさい。向こう見ずは天才であり、力であり、魔法です」。この一連の文章はゲーテの名言として非常に広く流通しています。

しかし、これを一つのゲーテ原文の翻訳として扱うことはできません。現在よく引用される形は、20世紀の登山家W. H. Murrayの文章と、ゲーテ『ファウスト』の古い英訳に由来する詩句が結び付いて広まったものと考えるのが適切です。

前半はW. H. Murrayの1951年の著書にある

スコットランドの登山家William Hutchison Murrayは、1951年の著書『The Scottish Himalayan Expedition』で、ヒマラヤ遠征を決断した経験について書いています。

そこでMurrayは、決断するまではためらいがあり、引き返す可能性もあるが、ひとたび明確にコミットすると「Providence moves too(摂理もまた動く)」と述べ、決断から予想もしなかった出来事や支援が生まれた、と続けます。

有名な “Whatever you can do or dream you can, begin it.” を含む文章全体をゲーテの散文として引用する紹介がありますが、少なくともこの「commitment」に関する段落はMurray自身の文章です。

Murray自身が、その後に「ゲーテの二行詩」を引用している

混同が起きやすい理由は、Murrayが自分の文章の直後に、ゲーテのものだとして英語の詩句を引用しているからです。

Boldness has genius, power and magic in it.
Begin it now.

Murrayはこれを “one of Goethe’s couplets” と紹介しています。しかし、この英語もゲーテが英語で書いた文章ではありません。

詩句の系譜はJohn Ansterによる『ファウスト』英訳へ

この英語表現の系譜をさらに遡ると、アイルランドの詩人John Ansterによるゲーテ『Faust』の英訳に行き着きます。Ansterの訳には、

Are you in earnest? seize this very minute—
What you can do, or dream you can, begin it;
Boldness has genius, power, and magic in it.

という有名な英語があります。

ただし、これはゲーテのドイツ語を逐語的に訳した文章ではありません。Ansterの英訳は原文をかなり自由に展開しており、この有名な英語表現をそのまま「ゲーテの原文」と考えるのは正確ではありません。

では、ゲーテとまったく無関係なのか

ここがこの引用のややこしいところです。「すべて偽物」と切り捨てるのも単純すぎます。

後半の詩的な表現には、『ファウスト』を英訳したAnsterを経由してゲーテ作品とのつながりがあります。一方、Murrayの「コミットメント」に関する散文までゲーテの文章にしてしまうと、作者の境界が崩れます。

つまりこれは、ゲーテ作品 → Ansterの自由な英訳 → Murrayによる引用と自身の文章 → 後世の引用という過程で、複数の文章が一つの「ゲーテ名言」のようにまとまっていった例として見ることができます。

それでも「始める」という考えは残る

出典を整理しても、この言葉が人を惹きつける理由まで消えるわけではありません。計画を考えているだけの状態と、実際に始めた後では、得られる情報も出会う人も変わります。

ただし「始めれば宇宙が助けてくれる」という法則として読む必要はありません。行動したからこそ初めて見える選択肢がある。始めること自体が、次の判断材料を生む。その程度に読み直しても、この言葉の実用性は十分に残ります。

まとめ

「できること、夢見ることがあれば始めなさい。大胆さには天才と力と魔法がある」という一連の文章を、ゲーテがそのまま残した名言として引用するのは正確ではありません。

1951年のW. H. Murrayの文章と、John Ansterによる『ファウスト』の自由な英訳を経た詩句が結び付き、現在の形で広まったと見るのが妥当です。

誰がどこまで書いたのかを分けても、言葉の価値は失われません。むしろ伝言ゲームのような引用史まで知ることで、一つの名言がどのように作られていくのかも見えてきます。

出典メモ:W. H. Murray, The Scottish Himalayan Expedition (1951). John Anster, English translation of Goethe’s Faust. 現在流通する長い文章全体をゲーテの逐語的な文章とは扱いません。

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