家でもない。職場でもない。
そこへ行けば何か特別な成果が出るわけでもない。でも、なぜか少し自分に戻れる場所がある。
「サードプレイス」という概念は、そんな場所を考えるための言葉です。
家と職場だけで、人生はできていない
社会学者Ray Oldenburgは、家庭を第一の場所、仕事を第二の場所とし、それらとは異なる日常的な社交の場を「third place」として論じました。
典型として語られるのは、カフェ、パブ、理髪店など、人が比較的気軽に集まり会話できる場所です。
だから本来のサードプレイスは、単に「一人で落ち着けるお気に入りの場所」と完全に同義ではありません。人と人との緩やかなつながりが重要な要素です。
でも、現代の「第三の場所」はもっと曖昧になった
リモートワーク、オンラインコミュニティ、コワーキングスペース。家と仕事の境界そのものが以前より曖昧になっています。
だからサードプレイスを場所の名前だけで探すより、そこで自分がどんな役割から一度降りられるかを考える方が面白い。
会社では役職があり、家庭では役割があります。そのどちらでもない場所では、肩書きより先に一人の人間としていられることがあります。
「都会の喧騒から」という名前にも、少し似ている
このサイトを作ったときから、「都会の喧騒から」という名前には、日常の速度から少し離れて考える場所、という感覚がありました。
物理的なカフェではありませんし、Oldenburgの意味でのサードプレイスと同一でもありません。
それでも、仕事でも家庭でもないところで、言葉や考えに触れ、少し立ち止まる。
このサイト自体が、読む人にとって小さな「第三の場所」のようになれたら面白い。
何もしない場所には、意味がある
現代は、場所にも生産性を求めがちです。カフェで仕事をする。移動中に学ぶ。散歩しながら音声を聴く。
それ自体は便利です。でも、あらゆる場所を成果のために使い始めると、「何者でもなくていい場所」がなくなっていきます。
サードプレイスは、場所の分類というより問いとして持っておきたい概念です。
自分には、家と仕事以外に、どんな顔でもいられる場所があるだろうか。
出典メモ:サードプレイスはRay Oldenburgが『The Great Good Place』などで論じた概念です。本記事では原概念と、現代の働き方・オンライン空間への拡張的な解釈を区別しています。

