「是を是とし、非を非とす、これを知という」。荀子の言葉として知られる一節です。「正しいことを正しいと、間違ったことを間違いだと言える人こそ賢い」という解釈がよくされますが、『荀子』修身篇での原文は「是是、非非謂之知」です。しかも同じ段落には「是非を逆にすることは愚か」「善人を傷つける言葉は讒言」「利を守り義を捨てるのは大きな害」といった、知識と行動に関する対句が次々と置かれています。
原典|『荀子』修身篇にある「是是、非非」
中国語版Wikisourceの『荀子』修身篇で「是是、非非謂之知」を確認できます。現代の書き下し風の「是を是とし、非を非とす」という言い方は、この短い漢文を日本語として読める形へしたものです。
コトバンクの小学館『デジタル大辞泉』の見出しも、「荀子―脩身」に出る言葉として載せ、道理に沿って是非を区別することを意味としています。
「知」の字は、現代日本語の知識量だけでなく、何が是で何が非かを見分ける判断に関わります。これは試験の正答数が多いほど優れた人だという単純な説明とは違います。
逆の対句|「非是、是非謂之愚」
荀子は是を是とし非を非とすることを「知」と呼ぶ直後に、非を是とし是を非とすることを「愚」と呼びます。この反転した対句により、何かを知っていると自称することと、実際に区別をつけられることが違うと示します。
ただし、世の中のすべての問題が一目で正解と誤りに分けられるという意味ではありません。原文の議論は徳や礼を重んじる古代中国の思想に置かれています。現代の複雑な問題へそのまま単純な二者択一を当てはめる必要はありません。
「知」と「直」は同じではない
同じ一段には「是謂是、非謂非曰直」という表現もあります。これは是を是と言い、非を非と言うことを「直」と呼ぶ文です。
「是非を見分ける」ことと「見分けたことを率直に言う」ことが、似ていても少し異なる仕方で示されています。正しいと知った判断を、人にどう伝えるかは別の問題として読めます。
例えば、仕事で自分が問題を発見したとき、心の中で正確に判断することと、関係者へ必要な説明をすることには違った難しさがあります。ここから現代の組織内の報告と対話へつなげて考える余地が生まれます。
善と不善をめぐる、前後の文章
修身篇のこの箇所は、善いことを先に示す「教」、善に和する「順」と、善くないことへ調子を合わせる「諂」「諛」を区別した後に、是非の判断へ移ります。さらに善良な人を傷つける言葉や、人に害を加えること、盗みや偽り、利のために義を捨てることも、短い言葉で整理されています。
そのため、ここでの「知」は知識だけの話ではなく、行動と判断に関する徳の言葉として配置されています。「自分が正しいと思うことを強く主張すればよい」という独善的な解釈では、この全体が見えません。
「是是非非」と、日常の「白黒をつける」
日常語の「是是非非」は、良いものを良い、悪いものを悪いと評価し、立場や相手によって判断をねじ曲げないことを表す場合があります。政治家や企業の議論などで使われることもあります。
ただし、判断を公平にすることと、事情を調べず即座に白黒を決めることは逆です。確かな材料が欠けているとき、「まだ判断できない」と伝えることも、是非を正しく区別するために必要でしょう。
感情や立場によって判断が揺らいでしまう可能性を認めるからこそ、資料、観察、利害関係、反対の根拠を検討する意味があります。
「正しいこと」は誰が決めるのか
荀子の文章にはその時代の礼や徳の基準があります。現代社会では法律、専門知識、社会的合意、個人の権利など、判断の根拠が分かれることがあります。「自分は是を是としている」と言いさえすれば、他の人を誤りだと裁けるわけではありません。
意見が分かれる場面では、争点が「事実の誤認」か「価値観の対立」かを区別し、判断の根拠を説明することが重要です。この慎重さも、古典を現代に応用するためには欠かせません。
現代の実務で使うなら
- 根拠を確かめる:発言や数字が一次資料に支えられているかを確認する。
- 評価と事実を分ける:「悪い数字だった」という判断と、その数字自体を区別する。
- 不確実性を残す:判断できない点まで、自信を持って言い切らない。
- 訂正する:よりよい証拠が出たら、かつての是非の判断を更新する。
これは現代の読者向けの整理で、荀子が統計分析やファクトチェックの手順を四段階で教えたという意味ではありません。
孟子の「仁・義」と比較する
『孟子』告子上の「仁は人の心なり、義は人の路なり」は、心と進むべき道という比喩を中心にします。荀子の修身篇は、是と非の区別を含む多くの概念を対句によって整理しています。
両者は儒家の思想という共通点を持ちながら、篇の構成や問題意識が異なります。対比は理解に役立ちますが、異なる時代・文章の細かな区別を残す必要があります。
まとめ|知とは、道理を判断する力でもある
「是を是とし、非を非とす、これを知という」は『荀子』修身篇に明確な漢文の出典があります。その直後の逆の対句、そして善悪・直言・不正な利得に関する言葉を合わせて読むと、知は単なる物知りではなく、区別をつけて判断し行動する力と結びつくことが分かります。自分の断言を強くするためではなく、判断の根拠を確かめるための一節として読みたいものです。
原文・参考資料・関連ページ
- Wikisource『荀子』修身篇 — 是非をめぐる一連の対句と漢文の注。
- コトバンク・小学館『デジタル大辞泉』「是を是とし非を非とす」 — 日本語での語義と収録篇。
- 『孟子』告子上「仁は人の心なり、義は人の路なり」
