「明日もまた、同じ日が来るだろう。」
この言葉は、太宰治の短編『女生徒』の終盤に実際に登場します。現在は「明日を信じよう」という励ましの名言として紹介されることがありますが、作品の中では、希望だけではなく絶望も同時に抱えた複雑な場面です。
出典は太宰治『女生徒』
青空文庫で公開されている『女生徒』本文の終盤で、語り手の少女は「幸福は一生来ない」と感じながら、それでも「あすは来る」と信じて眠ろうとします。
太宰本人の人生訓ではなく、少女の一日の終わり
『女生徒』は、一人の少女の朝から夜までの感情や思考を一人称で描く作品です。この一節も、太宰が読者へ直接「希望を持て」と教える文章ではありません。
語り手は一日の中で、自己嫌悪、家族への思い、学校、人間関係、将来への不安などを行き来します。その最後に「幸福は来ない」と思いながら、それでも明日を待つ。この矛盾した気分そのものが作品の魅力です。
絶望しているのに、明日を信じる
この言葉を単純なポジティブ思考へ変えてしまうと、「幸福は一生来ない」という直前の暗さが消えてしまいます。
むしろ面白いのは、希望が十分にあるから明日を待つのではないことです。幸福を信じ切れなくても、人は眠り、翌日を迎える。その弱さと小さな期待が同居しています。
現代で読むなら
「前向きにならなければならない」と自分を追い込む必要はない。希望と不安を同時に抱えたままでも、明日へ進むことはできる。『女生徒』の文脈に戻ると、そんな読み方ができます。
出典状態
出典確認済み。太宰治『女生徒』本文に確認できます。ただし、太宰本人が独立した格言として語ったものではなく、作中の少女の一人称の語りです。
太宰治の人物ページへ → 『人間失格』『斜陽』『津軽』『女生徒』などを、作者・作品・話者を分けながら原典から横断して読めます。