「人間は恋と革命のために生れて来たのだ。」
この言葉は、太宰治の小説『斜陽』に実際に登場します。ただし、太宰本人が講演や随筆で語った人生訓ではありません。作中人物のかず子が、自分の恋と「革命」をめぐって考える場面の言葉です。
出典は太宰治『斜陽』
青空文庫で公開されている『斜陽』本文では、かず子が戦前・戦中に教えられてきた価値観を疑い、「恋」と「革命」を肯定しようとする流れの中で、この一文が現れます。
人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
出典:太宰治『斜陽』|青空文庫
これは「太宰治の人生訓」ではなく、かず子の言葉
この一文だけを抜き出すと、「愛と社会変革のために生きよ」という普遍的な格言にも見えます。しかし『斜陽』の中では、もっと危うく切実です。
かず子は、敗戦によって、それまで大人たちから教えられてきた価値観への信頼を失っています。その反動の中で、かつて「愚か」「いまわしい」とされた恋や革命の側にこそ本当の生があるのではないか、と考えます。
つまりこの言葉は、落ち着いた人生哲学の結論というより、古い秩序から抜け出そうとする人物の熱と反抗の中から生まれた言葉です。
「恋」と「革命」が並ぶ意味
ここでの「恋」は単なる恋愛一般、「革命」は抽象的な社会貢献一般、と広げすぎない方が原文に忠実です。かず子にとって両者は、既成の道徳や身分意識から外へ出ようとする行為として重なっています。
『斜陽』そのものが、敗戦後に崩れていく旧華族の家族と、そこから別の生き方を選ぼうとする人々を描いた作品です。この一文も、その大きな文脈の中で読むと立体的になります。
現代で読むなら
この言葉をそのまま「恋愛と革命をしよう」という教訓に変える必要はありません。むしろ面白いのは、自分が当然だと思っている価値観は、本当に自分で選んだものなのかという問いです。
時代が大きく変わったとき、それまで正しいとされたものが揺らぐことがあります。そのとき、自分は何を信じ、何を引き受けるのか。『斜陽』のこの一文は、そんな危うい選択の場面から生まれています。
出典状態
出典確認済み。『斜陽』本文に確認できます。ただし話者は太宰治本人ではなく、作中人物のかず子です。
太宰治の人物ページへ → 『人間失格』『斜陽』『津軽』『女生徒』などを、作者・作品・話者を分けながら原典から横断して読めます。