「ただ、一さいは過ぎて行きます。」
太宰治『人間失格』の終盤に出てくる有名な一節です。現在は「つらいこともいつか過ぎる」という励ましの言葉として引用されることがありますが、作品の中では、もっと静かで重い場所に置かれています。
出典は『人間失格』第三の手記
青空文庫では『人間失格』の作品情報と本文が公開されています。作品終盤、大庭葉蔵の「第三の手記」の中で、幸福も不幸もないという感覚に続いて、「ただ、一さいは過ぎて行きます」と語られます。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
太宰治本人の「前向きな教訓」と単純化しない
この一文は太宰作品に実在します。ただし、作者本人が読者へ直接語った格言ではなく、作品内で大庭葉蔵が自分の人生を振り返る手記の一部です。
旧記事では「時間がすべてを解決するという太宰の信念」と解釈していました。しかし原文からそこまで断定するのは難しいでしょう。葉蔵は、積極的に未来を信じているというより、自分の意思とは別に世界と時間が進んでいくことを見つめています。
「過ぎて行く」は救いなのか、諦念なのか
この言葉が長く残る理由の一つは、意味を一つに固定しにくいところにあります。
苦しみも過ぎていく、と読めば救いになります。一方で、幸福も不幸も、自分の人生そのものも過ぎてしまう、と読めば諦念にも見えます。『人間失格』の終盤では、その両方が重なっています。
だからこそ、この言葉を「つらい時は待てば大丈夫」という処世訓だけに変えてしまうと、作品が持つ陰影を落としてしまいます。
現代で読むなら
この一節を現代に引き寄せるなら、「今の感情が永遠に続くとは限らない」という視点は持てます。ただし、それは太宰が明るい自己啓発を説いたという意味ではありません。
自分の力で変えられないものがある。その一方で、変わらないように見える状況も時間の中では変化していく。『人間失格』の言葉として読むと、その両義性が残ります。
出典状態
出典確認済み。太宰治『人間失格』本文に確認できます。ただし、作者本人の独立した人生訓ではなく、作中人物・大庭葉蔵の手記です。
太宰治の人物ページへ → 『人間失格』『斜陽』『津軽』『女生徒』などを、作者・作品・話者を分けながら原典から横断して読めます。