はじめに
「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている」。この文章は夏目漱石『吾輩は猫である』に確認できます。
ただし、作者本人が随筆で述べた言葉ではありません。作品中で独仙君が、個性・芸術・西洋文明について議論する場面の発言です。
個性の自由が、人間関係を窮屈にするという逆説
独仙君は、人間に個性の自由を許せば許すほど、互いの間が窮屈になると論じます。
自分は自分、人は人、と個性を強く押し出せば、共通の価値や理解が失われ、芸術さえ共有できなくなるという極端な議論です。
その流れで「自由を得た結果、不自由を感じて困っている」と語り、西洋文明を批評します。
漱石自身の最終結論として読まない
『吾輩は猫である』は、迷亭、独仙、寒月、苦沙弥らがそれぞれ大げさな議論を交わす風刺的な作品です。
独仙君の発言にも、ニーチェや西洋文明を大胆にまとめる誇張があります。
したがって、この一文をそのまま「漱石は自由を否定した」と結論づけるのは危険です。ある登場人物が語る文明批評として読む必要があります。
自由が増えるほど調整も増える
それでも、この逆説には現代にも考えられる部分があります。
選択肢や個人の自由が増えるほど、他者との境界や調整を自分で引き受ける必要が増える場合があります。
自由は「制約がゼロになること」ではなく、自分で選択し、その結果や他者との摩擦を引き受けることでもあります。
まとめ
「自由を得た結果、不自由を感じて困っている」は『吾輩は猫である』本文に実在します。
ただし漱石本人の直接発言ではなく、独仙君が個性と西洋文明を論じる場面の言葉です。
出典メモ:夏目漱石『吾輩は猫である』、1905–1906年。
夏目漱石の人物ページへ → 小説の語り手・登場人物・書簡の本人発言を区別しながら、作品と言葉をまとめて読めます。