はじめに
「子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ」。この言葉は夏目漱石『門』に確認できます。
ただし一般的な「子どもは家庭を明るくする」という家族論として読むと、原典の痛みが消えます。話しているのは宗助で、相手は妻の御米です。
子どもの多い坂井家を見た直後の台詞
宗助は、近所の坂井家の賑やかな家庭を見た後、御米にこの言葉を語ります。
ところが宗助と御米には子どもがいません。二人はかつて妊娠と流産を経験し、御米は自分にはもう子どもができないのではないかという思いを抱えています。
そのため宗助の何気ない一言は、御米の痛いところへ触れてしまいます。
直後に御米は泣き出す
夜、御米は宗助に、家を淋しいと思っているからあんなことを言ったのだろうと問いかけます。
そして自分には子どもができる見込みがないと打ち明け、泣き出します。
つまりこの台詞は、幸福な家庭の秘訣を教える格言ではなく、夫婦が共有している欠落と罪悪感を表面へ出してしまう言葉です。
一文だけでは、意味が反転する
「子どもさえいれば家は明るくなる」とだけ引用すれば、子どものいない家庭を否定するような言葉にもなります。
しかし『門』は、その考えによって御米が傷つく場面を続けて描きます。
名言の前後を読むことで、作品が単純な家族観を宣言しているのではなく、言葉が親しい人を傷つける瞬間を描いていることが分かります。
まとめ
「子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ」は『門』の宗助の台詞です。
漱石本人の家族観を直接表す名言ではありません。直後に御米が自分の不妊への不安を打ち明ける、作品上きわめて繊細な場面に置かれています。
出典メモ:夏目漱石『門』、1910年。
夏目漱石の人物ページへ → 小説の語り手・登場人物・書簡の本人発言を区別しながら、作品と言葉をまとめて読めます。
『門』作品ページへ → 宗助と御米の愛と孤立、時間、過去、救いを作品全体で読めます。
原典:夏目漱石『門』。青空文庫の原文では、宗助が「子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ」と御米に語った後、御米が子どもを持つことについて深く傷ついていると明らかになります。この言葉は家庭一般の幸福を保証する作者自身の教訓ではなく、親しい相手への不用意な発言として位置づけられています。