はじめに
「心には、理性の知らない理由がある」。パスカルの最も有名な言葉の一つで、恋愛について「理屈では説明できない気持ち」を表す言葉として使われることがあります。
ところが『パンセ』の原典へ戻ると、少なくともこの断片の中心は恋愛相談ではありません。パスカルが論じている「心(cœur)」と「理性(raison)」の関係、さらに信仰の問題の中に置かれています。
原文は「Le cœur a ses raisons…」
原文は「Le cœur a ses raisons, que la raison ne connaît point」。直訳すれば「心には、理性が知らないその理由がある」です。
重要なのは後続部分です。パスカルは、人間が普遍的存在や自己を自然に愛することに触れ、別の断片では「神を感じるのは心であって理性ではない」という方向へ議論を進めます。
ここでいう「心」は単なる感情ではない
日本語では cœur を「感情」と置き換えたくなります。しかし「感情には感情の理屈がある」としてしまうと、原文の射程が狭くなります。
パスカルにとって心は、単なる喜怒哀楽というより、推論だけでは到達しない認識や直観とも関係する概念です。だからこの言葉を「感情的な判断にも価値がある」とだけ説明すると、信仰・認識をめぐる文脈が抜け落ちます。
なぜ恋愛の名言になったのか
短い一文だけを切り出せば、恋愛について驚くほど自然に読めます。「なぜ好きなのか説明できない」という経験にぴったり重なるからです。
しかし、引用として有名になる過程で意味が広がったことと、原典で何を論じていたかは区別した方がよいでしょう。これはまさに、名言が文脈を離れることで新しい意味を獲得する例です。
まとめ
「心には理性の知らない理由がある」は真正なパスカルの言葉です。ただし、原典の「心」を単なる感情、まして恋愛感情だけに限定するのは狭すぎます。
この言葉の面白さは、論理的推論だけが人間の認識のすべてなのかという問いにあります。恋愛の名言として流通する現在の姿と『パンセ』の文脈を比べると、一つの言葉が時代の中で意味を変えていく様子まで見えてきます。