「人は恋愛を語ることによって恋愛するようになる」。パスカルの名言として紹介されることのある一節です。実際、フランス語の古いテキストに対応する文章があります。ただし、そのテキストがパスカルの作品かどうかは、本文の存在とは別の問題です。言葉の意味を読みながら、どこまで確かめられるのかを整理します。
原文は『恋愛情念論』に残る
1923年に刊行されたブランシュヴィックとブートルー校訂の『パスカル全集』第III巻には、『恋愛情念論(Discours sur les passions de l’amour)』という文章が、パスカルの著作と「帰属される」ものとして収められています。そこには次の短い一節があります。
À force de parler d’amour, l’on devient amoureux.――当サイトの説明訳では「愛について何度も語っているうちに、人は恋するようになる」。直後には、恋が人間にとって自然な情念であるという趣旨の文が続きます。
この段落の前には、喜びが本物かどうかよりも、当人がそれを真実だと信じていることに着目する文章があります。また、後続では、愛する者が相手を意識し、想像や言葉によって感情を強めていく様子が描かれます。これは現代の恋愛心理学の法則として実証した主張ではなく、17世紀風の情念論の一部です。
1843年の刊行時点から「パスカル作」は確定していなかった
この『恋愛情念論』は、19世紀にヴィクトル・クーザンが公刊して注目された文章です。1843年の『Revue des Deux Mondes』にはパスカルの作品とされる形で掲載されましたが、その原稿の作者を示す確かな自筆資料が確認されたわけではありません。
1923年の全集は表題に「ATTRIBUÉ À BLAISE PASCAL」(ブレーズ・パスカルに帰属される)と明記しています。これは収録そのものが著者の確定を意味しないことを示す重要な書誌情報です。
研究者によってパスカル説は強く疑われている
著者をめぐる論争は長く続き、パスカル研究者のルイ・ラフュマは1949年にパスカル作を否定する研究を発表しました。また、ジャン・メナールやミシェル・ル・ゲルンらも非パスカル説を示したと、ポール・ロワイヤル研究団体の解説は紹介しています。別の著者候補を挙げる議論もありますが、確定した著者が判明したとすることはできません。
したがって、本記事では「文章は実在する/その作者をパスカルと断定できない」と区別します。ここからさらに、原文が偽物だと断定することもできません。問題は言葉の存在ではなく、帰属の確からしさです。
ラ・ロシュフコーの格言との興味深い関係
1923年の校訂本文には、近い内容を述べるラ・ロシュフコー『箴言集』136番が注記されています。どちらも、愛情が自然にわき上がるだけでなく、他人の言葉や恋愛という観念から影響を受ける可能性に目を向けています。
ただし、類似しているというだけで「ラ・ロシュフコーがこの一文を書いた」「どちらかが必ず盗用した」などとは言えません。作者の特定、流通した表現、思想の類似性は別に確認する必要があります。
いま、この言葉から考えられること
恋愛についての会話や物語が増えると、それまで意識していなかった感情に気づくことはあるかもしれません。一方で、話しているうちに必ず恋に落ちる、という因果関係をこの歴史的な文章だけから保証することはできません。
読者が考えられる問いは、「感情は最初から完成した形で存在するのか。それとも、言葉にすることで自分の感情を理解し、形づくっていくのか」というものです。これは原文に触発された現在の解釈です。
出典・帰属の現在地
原文:1923年刊『パスカル全集』第III巻「Discours」、127頁付近。同巻の書誌・帰属注記、および1843年の『Revue des Deux Mondes』掲載本文を参照しました。
研究資料:『Revue belge de philologie et d’histoire』1962年の研究書評、ポール・ロワイヤル研究団体による著者帰属の解説。
判定:要検証(著者帰属)。原文の存在は確認でき、パスカル名義で長く流通した経緯も確認できます。しかし、著者をパスカルと確定できません。日本語は当サイトの説明訳です。関連:『恋愛情念論』の別の名言/パスカル人物ガイド/出典ステータスの読み方。