はじめに
パスカルの言葉として「正義が守られないところでは、力が正義とされる」と紹介されることがあります。しかし、この日本語をそのまま『パンセ』の一文として扱うより、パスカルの「正義と力」をめぐる断片を圧縮した表現として読む方が安全です。
原典には、より有名で精密な議論があります。「正義なき力は暴政であり、力なき正義は無力である」。パスカルが考えていたのは、正義と力のどちらかを選ぶ話ではなく、両者をどう結びつけるかという問題でした。
原典では「正義」と「力」を対にする
『パンセ』の断片では、正しいものに従うのは正当であり、強いものに従うのは必要だ、と議論が始まります。そして、正義だけでは悪に対抗できず、力だけなら暴政になるため、「正しいものを強くするか、強いものを正しくする」必要があるとします。
ところが正義については人々の意見が争われる一方、力は目に見えて分かりやすい。その結果、正義に力を与えることができず、「強いものを正しいものにした」とパスカルは逆説的に述べます。
「力こそ正義」と肯定しているわけではない
最後の一節だけを見ると、パスカルが「結局、強者が正しい」と主張しているようにも見えます。しかし冒頭で「力なき正義は無力」「正義なき力は暴政」と明確に区別しています。
したがってこれは、力による支配を道徳的に肯定する標語ではありません。正義を実現するには力が必要なのに、現実には力の側が自分を正義として承認させてしまうという政治・社会秩序の難しさを描く断片です。
流通する日本語と原典を分けて読む
「正義が守られえないところでは、力が正義とされる」という日本語は、原典の結論を分かりやすくまとめた表現としては理解できます。ただし、逐語的な引用として提示すると、パスカル自身の文章との境界が曖昧になります。
名言を読むときには、短く流通する日本語と、実際の原典にある論証を分けることが重要です。このケースでは原典の方がむしろ面白く、正義と権力の関係を単純な二項対立ではなく捉えています。
まとめ
「正義が守られえないところでは、力が正義とされる」は、パスカルの「正義と力」論を要約した表現として理解するのが適切です。
原典で重要なのは、正義だけでは実行できず、力だけでは暴政になるという矛盾です。そして現実には、正義を強くするよりも、強いものが自らを正しいものとして成立させてしまう。そこにパスカルの厳しい政治的洞察があります。