はじめに
「われわれの偉大にして光栄ある主要作品、それは生そのものである」。モンテーニュの言葉として流通しています。
『エセー』第3巻「経験について」の原文は「Nostre grand et glorieux chef-d’oeuvre c’est vivre à propos.」。より正確には、「われわれの偉大で光栄ある傑作は、適切に生きることだ」という意味です。「生そのもの」だけでは、重要な à propos が抜け落ちます。
本を書くことより、自分の生を整える
この一節の直前でモンテーニュは、人間の仕事は本を書くことではなく自分の生き方を形づくること、戦いや領土を勝ち取ることではなく、自分の行動に秩序と平静をもたらすことだと書きます。
王になること、富を蓄えること、建物を築くことなどは、その大きな仕事に対する付属物にすぎない。ここで価値の序列が反転します。
「大きなことを成し遂げる」が人生の傑作ではない
社会的な成功や歴史に残る成果を否定しているわけではありません。しかし、それらを人生の中心に置く必要もない。
モンテーニュにとって最も大きな仕事は、与えられた日常を、その時々にふさわしく生きることです。偉大な未来のために現在を使い切るのではなく、現在していることへ戻ってくる態度です。
「今を楽しめ」より少し繊細な言葉
vivre à propos を単純な「今を楽しもう」と訳すと意味を狭めます。そこには適切さ、時宜、状況にかなうことというニュアンスがあります。
快楽だけを追うのでも、偉大な目標のために現在を犠牲にするのでもない。身体、状況、年齢、日々の営みを引き受けながら、その時にふさわしく生きる。それが晩年のモンテーニュの「傑作」です。
まとめ
流通する「主要作品は生そのもの」という日本語は方向として近いものの、原文の重要な部分を省略しています。
モンテーニュが書いたのは、「われわれの偉大で光栄ある傑作は、適切に生きること」。本や地位や業績より先に、自分の生そのものをどう扱うか。それを人生最大の仕事とする『エセー』最終章の重要な一節です。