はじめに
「すべての者は生まれながらに知恵を求める。」アリストテレスの言葉として紹介されるこの日本語には、明確な原典があります。『形而上学』第1巻第1章、980aの冒頭です。
ただし原文の核は「知恵」よりも広く、「すべての人間は生まれつき、知ることを欲する」というものです。
英訳では “All men by nature desire to know.” とよく訳されます。短い一文ですが、『形而上学』はここから感覚、記憶、経験、技術、知識へと議論を進めていきます。
『形而上学』は「知りたい」から始まる
アリストテレスはこの一文の直後、人間が感覚そのものを好むことを、その徴として挙げます。
とりわけ視覚について、何かをするためだけではなく、行動の必要がないときでも私たちは見ることを好む、と論じます。それは視覚が多くの違いを明らかにし、私たちに物事を知らせるからです。
つまり冒頭の一文は、「勉強好きになろう」という人生訓として置かれているのではありません。人間の認識がどのように始まり、知へ発展していくのかという議論の入口です。
「知恵を求める」は少し意味が狭い
日本語で「知恵を求める」とすると、高度な判断力や人生の叡智を追求するという印象になります。
しかし原文の to eidenai は、まず「知ること」を意味します。アリストテレスは感覚から話を始め、記憶、経験、技術や学知へと段階を上げていきます。
もちろん『形而上学』の先では、原因や原理を知る高度な知も問題になります。それでも冒頭の一句そのものを引用するなら、「知恵」より「知ること」とした方が原文に近いでしょう。
人は本当に誰でも知りたがるのか
この一文を現代から読むと、少し反論したくなるかもしれません。知りたくない事実から目を背けることもあれば、学ぶことを面倒に感じることもあります。
アリストテレスの主張を「すべての人が常に勉強熱心だ」という経験的な統計として読む必要はありません。
直後に感覚の喜びを持ち出していることからも、ここでは人間の認識活動に根本的な欲求がある、という哲学的な出発点が示されています。
現代に引き寄せるなら
私たちは役に立つからだけではなく、単純に「知りたい」から調べることがあります。遠い宇宙、過去の歴史、知らない人の人生、仕組みの分からない技術。直接の利益がなくても、分かること自体に面白さを感じます。
『形而上学』の冒頭は、そうした経験を、人間の認識について考える入口にしています。
「学び続ければ成功できる」という成功哲学に変えるより、なぜ人間は役に立たないことまで知りたがるのかと問い返す方が、この一文には似合っています。
まとめ
「すべての者は生まれながらに知恵を求める」の原典は、アリストテレス『形而上学』I.1、980aです。
より原文に近い意味は、「すべての人間は生まれつき、知ることを欲する」。その直後には感覚、とりわけ視覚を好むことが、その徴として論じられています。
これは学習を勧めるだけの格言ではありません。「人間はなぜ知ろうとするのか」という、『形而上学』全体へつながる巨大な問いの入口です。
アリストテレスを人物から読む
アリストテレス人物ページでは、『形而上学』『倫理学』『政治学』など本人の著作と、古代の伝承・後世の要約を区別しながら、知識・徳・友情・政治を横断して読めます。