はじめに
「竹馬に乗っても自分の足で歩かなければならない。そして世界で最も高い玉座に上っても、やはり自分の尻の上に座っている」。モンテーニュの名言の中でも、妙に身体的で忘れにくい一節です。
これは『エセー』第3巻第13章「経験について」に対応する真正な文章です。しかも『エセー』最後の章に置かれた、人間についてのモンテーニュらしい見方がよく表れています。
竹馬に乗っても歩くのは自分の足
竹馬に乗れば、いつもより高い位置に立てます。しかし実際に歩いているのは自分自身の脚です。
同じように、王座は人を社会的に高い場所へ押し上げます。それでも王の身体そのものが別の生き物になるわけではありません。最高の玉座に座る人間も、最後には自分自身の身体でそこに座っています。
モンテーニュは、地位が無意味だと言っているのではありません。地位が人間そのものまで別物に変えるわけではないという、単純ですが忘れやすい事実を突きつけています。
「内面的に成長しよう」という話だけではない
この言葉はしばしば「外的成功より内面を磨こう」という自己啓発的な教訓に変換されます。しかし、原典の面白さはもう少し具体的です。
モンテーニュは人間を抽象的な精神だけで考えません。食べ、眠り、病み、老い、排泄し、最後には死ぬ身体を持つ存在として見ます。王であろうと庶民であろうと、その条件から完全には逃れられません。
「尻」というあえて格調の低い身体語を使うことで、社会的な威厳を人間の身体へ引き戻しているところに、この一節の力があります。
「適切に生きることが傑作」とつながる
同じ最終章には、「われわれの偉大で光栄ある傑作は、適切に生きることだ」という有名な文章もあります。
偉大さは、人間という条件を超越することにあるのではない。普通の身体を持ち、普通の日々を生きながら、その生をどう扱うかにある。
だからこの「玉座」の一節は、単なる権力者への皮肉ではありません。どれほど高い場所へ行っても、人生を生きる主体は結局この自分であるという、『エセー』全体を貫く自己認識へ戻ってきます。
まとめ
「最高の玉座に上っても、自分の尻の上に座っている」という言葉は、『エセー』第3巻第13章「経験について」に対応する真正なモンテーニュの文章です。
その意味を「謙虚になろう」だけで終わらせるのは惜しいでしょう。
地位は変わる。肩書も変わる。しかし、それらを経験する人間の基本的な条件は消えない。モンテーニュは、人間を高尚な理念へ持ち上げるのではなく、最後まで身体を持った人間として見つめます。だからこそ、彼の人生論は地に足がついています。