はじめに
「人間がこの世に存在するのは、金持ちになるためでなく、幸福になるためである」。日本ではスタンダールの名言としてよく紹介される言葉です。
内容は彼の作品世界とよく響き合いますが、今回『恋愛論』『赤と黒』『パルムの僧院』など公開一次資料を調べた範囲では、この日本語に直接対応する一文を特定できませんでした。
そこで、真正な直接引用と断定せず、スタンダール名義で流通する言葉として扱いながら、彼が実際に「幸福」をどう考えていたかを確認します。
スタンダールにとって幸福とは何か
スタンダールの『Pensées(思索・断章)』には、「幸福とは何か」という問いへの明確な記述があります。
そこで彼は、幸福を「その人を支配している情熱に、可能な限り大きな喜びを与える出来事」と捉えています。つまり、幸福を富の量や社会的地位で定義していません。
何を情熱として生きているかによって、人にとっての幸福は変わる。これは「金持ちになること」と「幸福になること」を別物として考える発想とよく響き合います。
『恋愛論』にも「幸福」の分析がある
『恋愛論』では、幸福についてさらに具体的に考察しています。
恋愛においては、愛する相手が自分を愛しているという確信が巨大な幸福を生む。一方、金銭的な便利さや新しい道具を手に入れる喜びは、知らなかったときには不足として感じていなかった、と比較します。
スタンダールが関心を向ける幸福は、所有物を増やすことより、人間の情熱が満たされ、生が強く感じられる状態に近いのです。
だからといって貧困を美化しているわけではない
「金持ちになるためではない」という言葉を、経済的安定は不要だという意味にまで広げる必要はありません。
スタンダールの小説には、財産や階級が人生の選択肢を大きく左右する現実が繰り返し描かれます。『赤と黒』のジュリアン・ソレルも、社会的上昇への欲望と自分の感情との間で揺れます。
お金が人生へ影響しないのではなく、お金そのものを人生の最終目的にすると、幸福との関係を取り違える可能性がある、と読む方が自然です。
出典について
今回の調査では「人間が存在するのは金持ちになるためでなく、幸福になるため」という短句そのものの一次出典は確定できませんでした。
一方、スタンダール本人が幸福を富ではなく情熱の充足から定義した文章は確認できます。
そのため、この短句は彼の思想と無関係な言葉とは言い切れませんが、現段階では「思想的には近いが、直接引用としては要検証」とするのが安全です。
まとめ
「人間がこの世に存在するのは、金持ちになるためでなく、幸福になるためである」は、スタンダール名義で広く流通していますが、今回の調査では一次出典を確定できませんでした。
ただしスタンダールの断章には、幸福を「自分を支配する情熱が最大限に満たされること」とする考えが実際にあります。
富は人生の条件になり得ても、人生の目的そのものとは限らない。少なくともスタンダールが幸福を考えるとき、その中心にあったのは財産の量より、人間が何を情熱的に生きるかという問題でした。