「明日、なにをすべきか分からない人は不幸である。」
マクシム・ゴーリキーの名言として広く紹介されている言葉です。
今回の調査では、ゴーリキー名義でかなり広く流通していることは確認できましたが、本人の著作・書簡・講演など、この完全な文言を確認できる一次資料までは特定できませんでした。
ゴーリキー名義での流通は確認できる
今回確実に挙げられる古い流通記録は、中国の学習ノートにあるゴーリキー名義の引用です。また、現代の日本語名言サイトにも同趣旨の表現があります。ただし、引用の掲載例が複数あっても、それらが相互に写し合っていないとは限らず、独立した本人発言の証拠にはなりません。
Exercise Book Archiveの資料番号chn8089lyh1は、中国・雲南省の学習ノートを1984〜1985年と分類しています。掲載された中国語は「不知道明天要干什么事的人,是不幸的人。——高尔基」で、「明日何をすべきか分からない人は不幸だ」という趣旨です。末尾の「高尔基」はゴーリキーの中国語表記です。アーカイブの英訳は、この中国語記録の翻訳であり、作家本人による原語表現ではありません。
ただし、二次資料が古いことと、本人の原典を確認できることは別です。
今回確認できなかったもの
この学習ノートは当時の中国語圏での引用の伝達を示す資料ですが、ゴーリキーのロシア語による著作・書簡・演説の掲載箇所は示していません。現段階では、具体的な作品名、原語の一文、版、発表年を結びつける証拠を確認できていません。日本語・中国語・英語の似た表現を見比べるだけで、元のロシア語の文を創作してはなりません。
そのため、「ゴーリキーが実際にこの言葉を残した」と断定するには証拠が足りません。
名言サイト同士で同じ帰属が繰り返されると、出典があるように見えることがあります。しかし、出典確認では“誰が載せているか”より、“どこまで原典へ戻れるか”が重要です。
言葉自体は「目的のある明日」を強く肯定している
出典が未確定でも、この言葉の意味を読むことはできます。
ここで「明日何をするか分からない」という状態を、単に予定表が空いていることではなく、次に向かう対象を見失う感覚と読むこともできます。ただしこれは編集上の解釈であって、ゴーリキー本人がこの意味で発言したと証明されたわけではありません。また、予定が決まっていない人や休養している人が「不幸」と確定するものでもありません。
仕事でも学びでも創作でも、明日やることが一つ決まっているだけで、時間は方向を持ちます。
ただし、この意味解釈と「ゴーリキー本人の言葉かどうか」は分けて考える必要があります。
出典と判定
流通の確認資料:Exercise Book Archive「chn8089lyh1」。資料の分類では1984〜1985年・中国雲南省・中学校段階の学習ノートとされ、中国語文と「高尔基」の帰属表記が記録されています。これは筆記者が言葉を引用した事実を示しますが、筆記者が参照した本や、ゴーリキー本人の原典は特定できません。
一方、本人の著作など一次資料は今回の調査では特定できませんでした。
判定:要検証。中国語圏での古い流通例は確認できましたが、原典となるロシア語の文章、作品名、章・頁、訳の経路は未確認です。「古い記録がある」「ゴーリキー名義で紹介される」「本人の言葉である」は別の段階です。原典を確認できるまで、断定的な本人発言として紹介しません。
引用の判定基準は出典ステータスの読み方にまとめています。