「朝夕の食事はうまからずともほめて食うべし」。伊達政宗の名言として紹介される言葉です。食事を用意した相手への感謝を語る文章として読むことができます。しかし、政宗自身がこの文を書いたと確認できるのでしょうか。実際には「五常訓」と呼ばれる後世の伝承に含まれており、本人への帰属には史料上の問題があります。今回は、言葉の内容と作者の確かさを分けて考えます。
結論:『五常訓』として流通するが、政宗本人の作かは要検証
小学館『サライ』の「心磨く名言」では、伊達政宗の「五常訓」(「貞山政宗公遺訓」などとも呼ばれる)の一部としてこの言葉を紹介しています。PHP研究所の「歴史街道」でも、政宗の「遺訓とされるもの」として同じ文章が掲載されています。これにより、少なくとも現代にこの帰属・文言が広く流通していることは確認できます。
しかし、作者が実際に誰であるかは別です。安城市図書情報館が国立国会図書館のレファレンス協同データベースへ登録した調査では、歴史的な編纂書『武家家訓・遺訓集成』を探しても政宗の遺訓は見当たらず、紹介用に用いた文章は時代小説中の記載だったと報告されています。少なくとも、この調査結果は政宗の自筆書状や同時代の記録によって発言が裏付けられたことを示すものではありません。
出典状態は「伝・伊達政宗/本人の一次史料による真正性は要検証」とします。現時点で政宗の本人発言として断定しないことと、文章自体を価値のないものと決めつけないことは両立します。
前後には「この世に客に来たと思えば」がある
この一節は単独ではなく、「気長く心穏やかに」「倹約を用い」といった生活態度について述べる文章の後に現れます。とりわけ直前の「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」という言葉と、直後の「元来客の身なれば好き嫌いは申されまじ」が重要です。
つまり、食卓で他者を褒めようという礼儀だけではなく、自分を世界の主人ではなく一時的な客だと見なす比喩によって、欲望や不満を抑える考え方が示されています。これをただ「料理を褒めると家庭円満になり、仕事も成功する」という効果の法則に変換することはできません。
さらに前には「仁・義・礼・智・信」の節度の話がある
「五常訓」は、一般に儒教の五つの徳目である仁・義・礼・智・信について、それぞれ行き過ぎれば別の問題が生じる、という警句から始まる形で紹介されます。続いて、気持ちを穏やかに保つこと、倹約、人生を客として過ごすというイメージへ進みます。
短い「食事はほめて食うべし」だけでは、この文章がもともと何を語ろうとしていたかを十分に説明できません。習慣や道徳をほどよいものに保つという文脈を踏まえながら、誰が文章を編んだのかは別の問いとして残す必要があります。
政宗への帰属には後世の異説がある
歴史伝承の検証サイト「デジタル城下町 お城図鑑」は、郷土史家による研究を紹介し、明治期の『好古叢誌』に「仙台黄門政宗卿遺訓」として現れること、さらに近い文章が水戸光圀や別の人物の作として伝えられていた可能性をまとめています。
同サイトは、仙台の古い随筆『源貞氏耳袋』では類似の文が水戸光圀や紀伊中納言の名義で載るとする三原良吉の研究にも触れています。ただし、本記事では、その古写本の該当箇所や明治期の雑誌現物を直接照合できていません。この経緯は後世の郷土史研究に基づく異説の紹介であり、「真の作者は光圀だ」「複数文を誰かが確実に合成した」と結論を固定する根拠にはしません。
したがって、現状の判定は「政宗の作と断定できない」です。「偽作であることが一次史料で完全に証明された」とまでは表示しません。
伊達政宗の本物の文書とはどう違うのか
仙台市博物館は、政宗の書状を年代順に整理した『仙台市史 資料編』を刊行しています。例えば『伊達政宗文書1』には、政宗の花押・押印に関する解説や、年代・宛先を特定できる文書が収録されています。博物館の収蔵資料データベースでも、実際の書状の年代、所蔵番号、関連書誌を示しています。
こうした史料は、作成者や伝来を考えるための手掛かりを持っています。一方、「五常訓」について、今回参照した資料では政宗の自筆や同時代の確実な写しとの対応は確認できません。歴史上の人物の名前が文章の後ろに付いていることと、確かな史料で作者が裏付けられていることを分ける必要があります。
「おいしくなくても褒める」を、何でも我慢する義務にしない
この伝承的な言葉から、食事を用意してくれた人への配慮や、相手の労力に気づく態度を考えることはできます。しかし、食物アレルギーや健康上の制限、衛生上の問題があるときに、無理に食べたり本心と違うことを言ったりする必要はありません。
また、家庭内で料理を担当する人だけに、相手の不満や感謝の不足を引き受けさせるべきでもありません。食卓での礼儀と、安全・公平な関係づくりは両立できます。「褒めれば必ず幸福感が上がる」「部下を褒めれば必ず業績が伸びる」といった実証されていない効果まで、この文章へ付け加えないようにします。
読むときに問いを分ける
この文章を読むなら、一つ目は「食事を作った人にどんな配慮ができるか」。二つ目は「望み通りにならない状況で何を受け入れ、何は改善を求めるべきか」。三つ目は「歴史上の人物への帰属を、どの資料で確かめられるか」です。
前三者を現代の生活へ応用することと、政宗本人の教えだと断定することは別です。出典に不確実性が残っていても、言葉を読む理由を失うわけではありません。ただし、引用者や出典ラベルは正確に扱う必要があります。
確認資料と今後の調査課題
小学館『サライ』:伊達政宗「五常訓」の掲載本文。文章の流通形と前後の構成を確認できます。PHP研究所「歴史街道」:政宗の遺訓とされる文章。同じ伝承を歴史記事で紹介。
国立国会図書館レファレンス協同データベース:安城市図書情報館の調査事例。学術的な家訓集で見つからなかったことや、参考とした書籍の性質が記録されています。
デジタル城下町 お城図鑑:五常訓の帰属に関する史料調査。明治期の掲載例と、別人へ帰属する類似表現について郷土史研究をまとめた二次的な調査です。
仙台市博物館:『仙台市史 資料編10(伊達政宗文書1)』。本人の書状を検証する際の史料群の案内で、今回の「五常訓」自体の出典ではありません。
出典状態:要検証。 この一節は「伝・伊達政宗『五常訓』」として紹介し、政宗自筆の遺訓だとは断言しません。明治期・江戸後期の各資料の原本頁を直接照合できた場合は、帰属の経緯を更新します。出典ステータスガイドも参照してください。