「生きる、それはじぶんの運命を発見することである」という言葉は、フランスの劇作家アルマン・サラクルーの言葉として流通しています。人生の方向性を考えるきっかけになる一文ですが、それを作者本人の人生哲学として断定するには、どの作品の誰の台詞なのかを確認する必要があります。
出典の手掛かりは戯曲『神は知っていた』
福島大学附属図書館の学習ガイドでは、この一文を「サラクルー」の言葉として掲載し、戯曲『神は知っていた』で使われた表現と説明しています。これは作品へ遡るための手掛かりです。ただし、同ガイドには台詞の話者や具体的なページは示されていません。
『神は知っていた』に当たる仏語題は Dieu le savait !。CiNii Books『現代世界戯曲選集』書誌では、1953年に白水社から刊行されたフランス篇第1巻へ鈴木力衛訳が収録されたことを確認できます。作品の実在と掲載書誌は確認できますが、これだけでは引用文の正確な位置までは証明できません。
サラクルーの劇は「運命は決まっているのか」を問う
作品の出版社ガリマールによる紹介では、『神は知っていた』の主題は、神がすべての結末を知っているなら、人間の行為によって何が変わり得るのかという問いです。舞台は1944年のルアーヴル。夫を失った女性や周囲の人物の関係を通して、責任と運命をめぐる問題が描かれます。
この概要はガリマールの作品紹介で確認できます。なお、今回扱う一文をどの登場人物が、どんな会話で語るのかまでは原本の台詞を直接確認できていません。
「発見」と「受容」は同じ意味ではない
この一文だけを見るなら、「運命を発見する」とは、はじめから定められた人生をただ受け入れることなのか、それとも生きる中で新たな選択肢や自分の責任を知っていくことなのか、二通りの読みが考えられます。どちらか一方を作者の真意として固定するのは慎重であるべきでしょう。
とりわけ作品紹介が示す自由意志と運命の問題を踏まえると、「運命は自分で何でも作れる」と単純化するのも、「生き方は最初から決まっている」と結論づけるのも早計です。まず戯曲の話者と場面を確かめる必要があります。
現在の私たちへの問いとして読む
自分の適性や価値観は、考えるだけでなく、選択してみたり、他者と関わってみたりする中で変わることがあります。一方、病気、家庭環境、社会状況など、自分の意思だけでは動かせない条件も存在します。
「発見する」という動詞は、自分の未来を決定済みのものと断定せず、まだ分かっていないことに注意を向ける言葉として読むことができます。これは当サイトによる現代的解釈であり、原典の話者が実際に説明した意味ではありません。
旧記事から取り除いた推測と、未確認事項
旧記事は、サラクルー自身が自己実現の方法としてこの言葉を直接述べたとし、失敗や成長に関する一般論へ展開していました。しかし、具体的な台詞の場面や作者本人の意図が特定できない段階では、そうした説明は事実と区別すべきです。
確認済み:サラクルーという劇作家と『神は知っていた』という作品の書誌、出版社が説明する作品の主題。未確認:この日本語のフランス語原文、作品内の該当場面と話者、既存邦訳との一致、最初の流通経路。そのため本記事の出典状態は「要検証」として維持します。
出典・参考資料
① CiNii Books『現代世界戯曲選集』:第1巻の邦訳書誌。② Gallimard『Dieu le savait !』の作品紹介:戯曲の主題・概要。③ 福島大学附属図書館 学習ガイド(2016):日本語句の掲載と作品名への言及。後二者も引用の正確な原文の直接確認ではありません。
