はじめに
「芸術は技芸ではなく、芸術家が体験した感情の伝達である」。この言葉は、トルストイの芸術論『What Is Art?(芸術とは何か)』第19章に確認できる真正な文章です。
英訳では、“Art is not a handicraft; it is the transmission of feeling the artist has experienced.” とあります。
この一文だけでも印象的ですが、直前には「靴やパン」と芸術を比較する議論があります。トルストイが否定しているのは技術そのものではなく、芸術を専門職の生産性と同じ論理で考えることでした。
なぜ「靴やパン」と芸術を比べたのか
第19章でトルストイは「未来の芸術」を論じます。当時の社会では、芸術家に生活を保障し、芸術だけに専念させれば、より多く、より良い作品を作れると考えられている。しかし彼はこの前提を疑います。
靴職人やパン職人なら、分業によって生産量を増やすことには明確な利点がある。ところが芸術は同じ種類の生産物ではない、と彼は考えました。
そこで出てくるのが「芸術は技芸ではない。芸術家が経験した感情の伝達である」という一文です。
技術が不要だと言っているわけではない
この言葉は「上手に作る必要などない」「技術を学ぶ必要はない」という意味にも読めます。しかし同じ章でトルストイは、未来の芸術家も技術を学び、それを向上させること自体は想定しています。
問題なのは、技術的完成度や職業的生産そのものを芸術の本質と取り違えることです。
どれほど技巧的でも、作者が生きた感情が他者へ伝わらなければ、トルストイの定義する芸術からは遠ざかります。逆に素朴な表現でも、感情が共有されれば芸術になり得ます。
第5章の「芸術とは何か」との違い
トルストイは第5章でも、「芸術とは、一人の人間が外的な記号を通じて、自分が経験した感情を他者へ伝え、他者もその感情を経験する活動である」と定義しています。
サイト内には、この定義そのものを扱う別の記事があります。それと今回の一文は似ていますが役割が違います。
第5章は芸術の定義。第19章の「芸術は技芸ではない」は、その定義を使って専門職化・分業・生産性という芸術観を批判する場面です。同じ言葉としてまとめてしまうより、文脈を分けることで思想が立体的になります。
まとめ
「芸術は技芸ではなく、芸術家が体験した感情の伝達である」は、『What Is Art?』第19章にある真正なトルストイの文章です。
ただし「技術は不要」という主張ではありません。靴やパンのように、専門化して大量に作れば芸術も良くなる、という考えへの批判です。
トルストイにとって芸術の中心にあるのは作品という物体ではなく、一人の人間が経験した感情が、別の人間へ渡り、共有される出来事でした。だからこそ、技巧と芸術は同じものではないのです。