はじめに
「努力して勝つことの次にいいのは、努力して敗れること」。この趣旨の一節は『赤毛のアン』第35章に実際に登場する。大切なのは、作者が読者へ直接語った訓戒ではなく、主人公アンの台詞であることだ。
試験や仕事の結果が迫ると、私たちは「成功したか、失敗したか」だけで経験を判定しがちだ。しかし、結果が出る前にも人は学び、悩み、準備を重ねている。この言葉は、勝敗の手前にある時間へ目を向ける。
物語の一節を人生訓として読むときこそ、話している人物と場面を外してはいけない。アンがなぜこの言葉を口にしたのかを確かめると、単純な努力礼賛ではない意味が見えてくる。
原典は『赤毛のアン』第35章
原文はL・M・モンゴメリ『赤毛のアン』(Anne of Green Gables)第35章「The Winter at Queen’s」にある。大学が公開する全文テキストで、前後の会話まで読める。
英語では「Next to trying and winning, the best thing is trying and failing.」と語られる。この文章の話者はアン・シャーリーであり、物語の外にいるモンゴメリの独立した格言ではない。
日本語の「努力して」「落ちること」は、原文の意味を伝えるための訳し方の一例だ。小説の人物の言葉と、日本語訳文の表現を混同しない。本記事では既刊訳の逐語的な引用ではなく原文を基に説明する。
試験を待つ場面でアンは何を見ていたか
第35章では、アンたちがクイーンズ学院での勉強と試験の結果をめぐって話している。仲間たちは成績や奨学金を気にし、誰が良い結果を得るかを話題にする。進路がかかった緊張感のなかで、この台詞は生まれている。
アンも結果を気にしていないわけではない。しかし自分は最善を尽くしたと振り返り、努力して勝つことの次に、努力して敗れることにも価値があると言う。勝ちたい気持ちを捨てたからではなく、すでに取り組んだ時間を認めたと読める。
続く場面でアンは、故郷の景色を思い起こさせる空の色へ話題を移す。結果だけに視線を固定しないことで、彼女の世界はもう少し広く保たれている。試験の外にも大切なものがあるという余韻が残る。
「敗れることが最善」と言っているわけではない
原文は勝つことの価値を否定していない。むしろ、努力して勝つことを第一に置いたうえで、次に努力して失敗することを挙げている。結果がどうでもよいという開き直りとは違う。
大切な機会に向けて準備するなら、当然結果も考える。準備不足や不注意があれば改善した方がいい。努力の過程を認めることと、結果から学ぶことは両立する。
また、すべての失敗が価値ある経験になると無条件に言うこともできない。何を試し、何が分かり、次に生かせるのか。失敗を美化する前に、経験の中身を見ることが必要になる。
努力と他人からの評価を切り離してみる
試験の結果や仕事の評価は、能力や準備を考えるための手掛かりになる。一方で、その一回の数字だけで自分の価値が決まるわけではない。結果は大切だが、その人の全体像ではない。
例えば準備を重ねて発表に臨んでも、相手の関心に合わなければ成果が出ないことがある。次に役立てるなら、準備の質や伝え方を点検すればよい。評価を受け止めることと、評価へ自分を丸ごと預けることを分ける。
アンの場面に重ねるなら、結果を待つ間も生活があることを忘れない、という読み方もできる。努力が報われるかどうかと、今日をどう過ごすかは別の問いなのである。
作品から離れすぎないための確認
作品の台詞には、物語の状況と人物の性格が反映される。アンが発した言葉を「モンゴメリの人生哲学そのもの」と短絡させないことが出典確認の基本になる。
今回確認したのは、1908年刊『赤毛のアン』第35章にある英文と前後の会話である。日本語の言い換えには訳し方の幅が残るが、作品・章・話者という出典は特定できる。
ほかの人物や日本語訳を調べる際にも、出典ステータスの読み方を基準としている。引用文の感動と、誰がどこで語ったかの確かさを両方守りたい。
まとめ
「努力して勝つことの次にいいのは、努力して敗れること」は、『赤毛のアン』第35章のアンの台詞に根拠がある。作者名だけで独立した名言として流通させず、人物の言葉として読む必要がある。
結果を気にする自分を否定せず、それでも全力を尽くした経験へ目を向ける。成功と失敗の間に、学んできた時間を置き直すところがこの台詞の魅力だ。
何かに挑戦したあと、結果が出る前に一度だけ自分へ尋ねてみたい。何を工夫し、何を学んだか。その答えを持てるなら、勝敗だけでは測れない経験も確かに残る。