はじめに
「二度とやってこない一瞬一瞬を精一杯生きること」。これは、マラソン選手として活躍した有森裕子が自身の信条として紹介している言葉だ。誰かが後から作ったキャッチコピーではなく、本人の公式プロフィールに掲載されている。
一瞬一瞬を大切に、と聞くと、毎秒を無駄なく活動しなければならないようにも感じる。しかし、時間の価値を考えることと、休むことを否定することは同じではない。「精一杯」の意味を一つの働き方に固定しないことが大切だ。
この言葉を理解するには、有森がどのような場面で語ったかを確かめる必要がある。ここでは、信条としての公式掲載と、競技後の有名な別の発言を区別しながら考えていく。
本人のプロフィールに掲載された信条
有森裕子のマネジメント会社animoの公式プロフィールには、本人の信条としてこの一節が掲載されている。発言者と文言の結びつきを、本人を紹介する公式資料で確認できる。
同じページでは、自分ならではの生き方にこだわることや、簡単には諦めないことも信条として挙げられる。一つの文言だけを切り離さず、本人が大切にしている考えの並びとして読むことができる。
さらにNHKプロモーションの講師紹介でも、同じ趣旨の信条が掲載されている。ただし、これが本人のいつの初発言かまでは分からない。公式プロフィールでの確認と、歴史上の初出特定は別だ。
競技の瞬間だけを指す言葉ではない
有森は1992年のバルセロナ五輪で銀メダル、1996年のアトランタ五輪で銅メダルを獲得した。公式プロフィールでもその経歴が確認できる。厳しい競技経験を持つ人物の信条として読む背景はある。
ただし、この言葉が特定のレース中に生まれたのか、引退時の発言なのかは今回確認できていない。実在の大会に結びつけて、もっともらしい名場面を創作しないことが重要だ。
本人の信条として使われている以上、走る場面だけに意味を限定する必要もない。日常の人間関係や自分が大切にしたい時間をどう扱うかという問いへもつながる。それは競技記録とは別の編集上の解釈である。
「精一杯」を休めない義務にしない
精一杯生きる、と言われると「今日も最大限努力しなければ」と自分を追い込みがちだ。しかし体調、仕事、家庭などの事情によって、一日にできることは変わる。全員が同じ量をこなすことを意味するわけではない。
何かに挑戦する時間もあれば、誰かの話を聞く時間も、十分な休息をとる時間もある。必要な時に休むことが、次の日へつながる場合もある。一瞬を大切にする方法は、いつも活動量を増やすことだけではない。
言葉を厳しいノルマに変えてしまうと、その一瞬を味わう余地がなくなってしまう。今の状況で何を大切にしたいかを自分で選ぶという読み方の方が自然ではないだろうか。
自分の時間をどう使うかを問い直す
予定が詰まっている時ほど、忙しさをこなすことだけが目標になりやすい。けれども、何に時間を使うかを考える機会もまた重要だ。「今日しかできないことは何か」と立ち止まるだけで、選択が変わる場合がある。
例えば、仕事の成果を出すための集中と、身近な人との会話を両立したいなら、どちらも無制限には増やせない。優先するものを選ぶ必要がある。時間が戻らないからこそ、全部を選ぶのではなく何を選ぶかが問われる。
とはいえ、どの一瞬も特別な思い出に変える必要はない。何も起こらない静かな時間にも価値がある。一瞬一瞬を「成果」で採点しないことも、この言葉との付き合い方の一つだ。
同じ人の別の言葉と混同しない
有森には、アトランタ五輪後の「自分で自分をほめたい」という言葉も知られている。公式プロフィールはその背景にも触れている。今回の信条と、競技後の別の発言は同一の引用ではない。
いずれも自分の生き方と向き合う姿勢として近いテーマを持つが、発言した状況や文言は違う。似た意味の言葉をまとめて一つのエピソードにしないことが、原典を尊重することになる。
複数の言葉を並べて考えることはできる。ただ、そのときも出典ごとにどの場面が確認できたかを残す。言葉同士をつなげることと、出典を混ぜることは違う。
出典の確認範囲とまとめ
今回の一節は、animo公式プロフィールとNHKプロモーション掲載の人物資料に、本人の信条として確認できる。出典状態は「出典確認済み」とする。
ただし、最初にいつ、どの場面でこの考えを述べ始めたかまで追跡したものではない。公式の現在の掲載事実と歴史的な初出を区別したうえで確認済みとする。
過去の一瞬を取り戻すことはできない。だからこそ、今日の限られた時間を自分なりに選ぶ。「精一杯」を他人から課されるノルマにせず、何を大切に生きたいかという問いとして持ち帰りたい。