五木寛之「人生は思うにまかせぬものである」|『人生の目的』の原文と文脈

はじめに|「人生は思うにまかせぬ」は、諦めのすすめなのか

好きな仕事を望んでも、その道に進めるとは限らない。努力を重ねても、育った環境や偶然の出会いまでは選べない。五木寛之が『人生の目的』で書いた「人生は思うにまかせぬものである」という一節は、そうした現実から出発しています。

この言葉を「どうせ努力しても無駄だ」と読むと、話の半分を取り落とします。五木が疑っているのは、努力した人の成功ではなく、成功した人の経験を、そのまま誰にでも通用する法則へ変えてしまうことです。

ここでは出版社が公開する著作本文に戻り、原典で確認できること、そこから考えられること、読者自身が選べることを分けて読みます。長い原文を転載せず、参照先を明示しながら解説します。

原典|『人生の目的』にどのように書かれているか

該当箇所は、幻冬舎plusが2019年4月18日に公開した五木寛之『人生の目的』連載第10回、「私たちは運命にすべてをゆだね、受け身に徹しきるべきなのか」の「生まれること、その不公平な出発点」にあります。出版社の公開本文に本人の文章として確認できるため、帰属は明確です。

原典では、好きなことなら苦労をいとわない人の姿に触れたあと、好きでも素質がない場合や、素質があっても環境・運に恵まれない場合があると論じています。「好きなこと」と「できること」と「その機会があること」は同じではない、という観察です。

出版社はこの連載を、以前刊行された著作の新書版への再編集・復刊に伴うものとして紹介しています。したがって、2019年4月18日は確認できるWeb掲載日であり、この文章が初めて書かれた日ではありません。現時点で初版の該当ページとの逐語校合までは行っていません。

努力を否定するのではなく、努力できる条件にも目を向ける

同じ公開本文の前半で五木は、逆境から成功した人に対して、努力を続ける能力や自分を信じられる気質を備えていたこと自体を一つの幸運として考えています。「努力した」と「努力できる条件があった」を区別するのが、この箇所の特徴です。

これは、何かを成し遂げた人の仕事を軽く見る議論ではありません。成果には本人の選択も関係する一方、環境、身体、支援者、時代など、本人が完全には制御できない要素もあります。一つの成功談を、成功しなかった人への責め言葉に変えないという読み方ができます。

ただし、「才能がなければ何をしても無駄だ」と五木が断じているわけでもありません。人が自分の条件を知ったうえで工夫したり、別の道を探したりする余地まで消してしまうと、原典の後半に続く問いと食い違います。

『人生の目的』では、仏教の「四苦」と自由の問題へつながる

対象の一節に続き、五木は仏教の「四苦」、つまり生・老・病・死を取り上げ、なぜ最初に「生」が置かれているのかを考えます。自分がどこに、いつ、どのような条件で生まれるかは選べない。人生の出発点から、人間の自由には限界があるという議論です。

さらに、同連載の別回「誕生の瞬間から、人は不自由なものを背負っている」では、五木が仏教の「苦」を単なる苦痛だけでなく「思いどおりにならないこと」と結び付けて説明しています。これは五木による思想的な説明として紹介するものであり、このページだけからサンスクリット語の唯一の厳密な定義を証明するものではありません。

重要なのは、原典が「運命に任せて受け身になろう」で終わらないことです。第10回の末尾で五木は、運命に全面的に身をゆだねることができるのかと問い、自分はそうできないからこそ人生の目的を考える、と述べています。不自由さの認識と、考えることの放棄は別なのです。

現代的な解釈|「自己責任」と「運任せ」の間にある視点

仕事で希望していた職種に就けないとき、「努力が足りない」とすぐ結論づけるのも、「運が悪かっただけ」とすべて片づけるのも、現実を単純化しています。本人の準備、採用側の事情、生活上の制約、偶然の機会などを分けて見るほうが、次の判断に役立ちます。

たとえば同じ資格試験に挑む二人でも、学習時間、相談できる相手、家事や育児の負担、体調などの条件は同じではありません。これは当サイトが考えた例であり、五木がこの具体例を挙げたという意味ではありません。比較の前提が違えば、同じ結果に至る難しさも異なるということです。

「思うにまかせぬ」という言葉は、希望を小さくする命令ではなく、自分の力が届く場所と、届かない場所を見分け直す手掛かりとして読むことができます。限界を認めることと、可能性をゼロと決めつけることは同じではありません。

日常でどう生かすか|変えられる条件を見つける

思うように進まないことが起きたら、まず「何が起きたのか」を事実で書き出します。次に、「自分が選べたこと」と「まだ選べなかったこと」を分ける。結果そのものと、結果に対して取れる次の行動を切り離すためです。

仕事で評価されなかった場合なら、評価基準を聞く、成果を記録する、他の機会を探す、といった選択肢は残り得ます。一方、すぐに変えられない制度や相手の判断もあります。だからといって、どの状況でも転職すべきだとか、我慢すべきだという一律の答えにはなりません。

他人の失敗を見たときにも、この視点は役立ちます。人の条件を知らずに「自分ならできた」と言い切らないこと。成功談を励ましとして受け取る自由と、誰かを裁く基準にしない慎重さを、両方持つことができます。

まとめ|ままならないからこそ、何を選ぶかを考える

五木寛之の「人生は思うにまかせぬものである」は、『人生の目的』の出版社公開本文に確認できる文章です。そこで論じられるのは、希望や努力が無意味だということではなく、人には自分で選べない条件があり、成果を万能の成功法則へ単純化できないという問題です。

原典は、運命の存在を認めれば考える必要がなくなる、という結論には進みません。むしろ、思いどおりにならない現実を前にしても、人生の目的を問い続けています。現実を見ることと、考えることをやめないこと。二つを併せて持つところに、この文章をいま読む意味があります。

出典・確認範囲:五木寛之『人生の目的』、幻冬舎plus連載第10回(2019年4月18日掲載)公開本文と、同第7回(2019年4月15日掲載)公開本文を参照。引用の逐語的な所在は出版社の公開本文で確認済み。旧版・初版との全ページ校合は未実施。引用は短句にとどめ、上記の具体例や応用は当サイト独自の解釈です。関連する出典確度の読み方は出典ステータスガイドをご確認ください。

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