「どこまでも、私は平和ということをもって進んでいきたい」。犬養毅が1932年5月1日の演説「内憂外患の対策」で述べた言葉として知られています。重要なのは、これを時代や対象を離れた平和のスローガンとして読むのではなく、満州事変後の国際情勢で、首相が対外政策をどう説明したかという文脈へ戻すことです。演説の内容と、それを受け取る現在の私たちの解釈を区別して考えます。
1932年5月1日――五・一五事件の2週間前
犬養毅(1855〜1932)は新聞記者出身の政治家で、1931年12月に首相となりました。前年9月に満州事変が始まり、1932年には中国大陸をめぐる軍事・外交上の緊張が高まっていました。犬養はその状況下で「内憂外患の対策」と題する演説を行います。
2019年の『PRESIDENT Online』の取材記事では、ノンフィクション作家・堀川惠子氏がこの演説の音源と文書記録を比較した経緯を紹介しています。同記事によれば、演説の終盤では侵略主義を時代遅れと批判し、平和をもって進みたいという言葉が語られたとされています。
ここで注意すべきは、記事冒頭の一文が演説の全体ではないことです。演説には国内経済の「内憂」と外交・軍事の「外患」という構成があり、平和への言及は対外政策について説明する部分に置かれていました。そこを外すと、犬養の言葉が何への反論で、どのような政治的主張だったのかが見えにくくなります。
この「平和」は、抽象的な心の安らぎではない
元記事では、この言葉が家族や職場の対話、個人の心の平穏にまで直接つながると説明されていました。しかし、今回確認できる演説の文脈は、外国に対する侵略の否定と、日本の内閣が外交で取るべき方針にあります。平和という単語だけを取り出し、すべての場面に当てはめると、犬養が当時直面した政策上の争点が失われます。
もちろん、私たちがここから対話の価値を考えることはできます。ただし、それは史料に書かれた犬養の説明と区別した現代的な考察です。本文の中心は、まず対外政策と政治的決断に置くべきでしょう。
録音と文字記録の違いが示すもの
堀川氏は、演説の音源と文字資料を突き合わせると、文字の記録から一部が落ちていることに気づいたと述べています。引用の真正性を考えるとき、これは大切な指摘です。演説には実際に発された言葉があり、それを速記・編集した文字記録、さらに後年の書籍やWeb記事が存在します。これらを一字一句同じものとして扱うことはできません。
今回の監査では、信頼できる取材記事で演説日時・題名・内容を確認できました。一方、1932年の録音原本を直接再生し、発言部分を逐語的に照合するところまでは実施できていません。そのため、現在の短い日本語引用を完全に原音と一致すると保証することは避け、要検証のステータスを維持します。
犬養の政治経歴を、単純な理想家像に押し込めない
国立国会図書館の略歴によれば、犬養は明治期から複数の政党政治の局面に関わり、閣僚も歴任して1931年に首相になっています。長い政治家人生を持つ人物の一回の演説は、その人の行動すべてを説明するものではありません。だから「平和を望んだ人」か「現実主義者」かという二者択一で人物像を固定しないようにしたいところです。
一方、五・一五事件で首相が殺害されたことは確かな史実です。演説がなされた5月1日から2週間後、犬養は1932年5月15日に命を落としました。ただし「この平和演説だけが暗殺の原因だった」という直接的な因果関係は、今回の資料だけでは立証できません。事件には複数の政治的・軍事的背景がありました。
この言葉から考えられる問い
- 一つの発言を理解するとき、その場で問題になっていた政策や相手を特定できているか。
- 演説の音声、速記、後年の抜粋を区別しているか。
- 政治家の理想の表明と、実際に実行された政策を別々に検討しているか。
- 歴史の結末を知っているからといって、その結末に向かう必然的な物語を作っていないか。
これらは犬養自身が箇条書きで残した教訓ではありません。歴史上の発言を、現在の価値観や好みに寄せすぎずに読むための本記事の整理です。
出典状態・参考資料
「どこまでも、私は平和ということをもって進んでいきたい」という発言について、1932年5月1日「内憂外患の対策」で語られたとする研究者の解説を確認しました。発言場面は特定できていますが、録音と文字記録の突き合わせは未実施のため、原音に対する逐語的な照合済みとは表示しません。
- PRESIDENT Online「なぜ犬養毅は『話せばわかる』と言ったのか」第5ページ(2019年):1932年5月1日の演説と録音・文字記録の比較についての堀川惠子氏の証言
- 国立国会図書館「近代日本人の肖像:犬養毅」:首相就任と五・一五事件の基礎年表
- 慶應義塾『三田評論』「犬養 毅」:晩年の人物像と事件に関する解説
- 国立国会図書館サーチ『木堂犬養毅』(1932年):犬養に関する同時代の刊行資料の書誌(この演説の録音資料ではない)
関連して読む
犬養が若いころに言論の役割をどう捉えていたかは「公然の手段」と政党政治の思想を、引用の出典状態の考え方は出典ステータスガイドを参照してください。

「平和」という言葉が力を持つのは、それを美しい理念として掲げるだけでなく、当時の具体的な状況に戻して読むときです。犬養の演説は、1932年の政治と外交を考える史料であるとともに、演説の一節が後世でどう引用されるかを考える材料にもなります。