井上道義「舞台では僕でしかない」|クラシックの面白さと共演者へのまなざし

「舞台では自分でしかない」という言葉の来歴

「舞台に出た時から、僕は僕でしかない」。指揮者・井上道義の言葉として、この一節にクラシックは愛されなくても、つまらないものとは思われたくないという文章が続けられる。芸術家の自分らしさを表した言葉として紹介されるが、いつの取材で、どんな質問を受けて語られたかは、公開資料から特定できなかった。

名言集にはこの長い形が掲載されるものの、初出となる媒体、収録頁、録音の場所までは提示されていない。旧記事は、本人が「ありのままの自分」をすべての人に勧めたかのように解説していた。しかし、舞台で演奏する仕事の話を、誰にでも当てはまる心理的な自己肯定の言葉へ変換するのは飛躍である。

井上本人への取材を調べると、舞台やクラシックについて、より具体的な発言が見つかる。作曲家の意図を楽譜から読み直すこと、同じ舞台に立つ演奏者と関係を築くこと、普段クラシックを聴かない人へ新しい音楽体験を届けること。「自分である」という姿勢は、舞台上の他者との関係から切り離せない。

クラシックの敷居を低くすることと、音楽を薄めること

2013年、井上は東京の野外公演についての『All About』の取材で、知らない音楽に出会う楽しさを語った。聴いたことのない曲でも、そこに美しさを発見できるかもしれないという考えだ。聴衆を増やすために曲を単純化するのではなく、未知のものへ好奇心を向けてもらうことを重視していた。

野外のコンサートなら、普段のホールとは会場の空気や聞こえ方が違う。観客が飲食できる企画や、音響の工夫など、聴くための入口を広げる方法もある。一方、それによってオーケストラの演奏の難しさがなくなるわけではない。入口は柔らかくしても、音楽そのものの複雑さを消す必要はない。

同じ取材で井上は、演奏を聞いた人に新しい美しさを発見してもらえればうれしい、と語っている。これは誰からも愛されなくてよいという極端な無関心とは異なる。観客の反応を操作したいのではなく、未知の音楽に出会う機会を設計したいという態度として読める。

ショスタコーヴィチに、どのように自分を重ねたか

2019年の『SPICE』インタビューでは、井上はショスタコーヴィチの作品に強い思い入れがあることを語った。国家や社会の圧力の中で書かれた音楽を、いま自分が指揮する意味は何か。作曲家本人と同じ人生を送れなくても、作品が示した心の自由へ深く共感することはできる。

指揮者は自分で新しい楽譜を自由に書いているわけではない。すでに作曲された作品を読み込み、オーケストラと共有し、一回の演奏として形にする。そこには作曲家への尊重と、自分の解釈の両方が求められる。自分らしさとは、作品や共同演奏者の存在を無視することではない。

井上は2016年の『ぶらあぼ』で、なぜその音になるのかと問い続けることが音楽の始まりだと語った。型破りな人だという評判があっても、本人にとっては常識を疑う必要があるという。奇抜に見える結果より、その解釈にたどり着くための問いの方が重要という立場だ。

最後のコンサートで見えてきた「舞台」の意味

2024年12月30日の引退コンサートに向けて、サントリーホールは井上本人の「ラスト・メッセージ」を公開した。そこでは14歳で決めた進路から、学び直し、音楽との出会い、晩年の仕事へと自身の歴史を振り返っている。その最終的なよりどころとして舞台を挙げている。

同年12月30日の『ONTOMO』のインタビューで井上は、音楽を続けた重要な動機を、自分とともに演奏する人々との関係に置いた。観客の拍手だけに活動の意味を預けていたのではない。指揮者と演奏者が幕開きから終演まで同じ舞台を生きるという説明には、独特の共同性がある。

観客の評価をまったく気にしない芸術家という人物像は、魅力的かもしれない。しかし舞台を成立させるには、多くの演奏者、制作スタッフ、会場、そして聴衆の存在も必要だ。演奏の価値を客受けだけで決めないことと、聴衆を軽視することは同じではない。この複雑さを残して読みたい。

「自分らしさ」を一般論にしないための資料整理

井上の発言を仕事や創作へ引き寄せれば、他人の期待に合わせるだけでは表現の芯が失われるかもしれない、という問いが立つ。ただし、自己表現を口実に他人との協力や安全への配慮を放棄することはできない。自分の考えを持ちながら、他人と一つの結果を作ることが舞台の仕事には含まれる。

そのため、誰かが喜んでくれないなら創作は無意味だという結論も、誰の意見も聞かずに好きにすればよいという結論も避けたい。何を表現するのか、誰とそれを作るのか、見た人に何を発見してほしいのか。一人の芸術家が抱え続けた問いを、簡単な処世術へ縮めないことが重要だ。

確認資料はAll Aboutの2013年本人取材、SPICEの2019年取材、ぶらあぼの2016年取材、サントリーホール本人の「ラスト・メッセージ」とONTOMOの2024年取材。これらは本人の仕事観の根拠となるが、冒頭の長い流通文言の逐語的出典はなお未確認である。

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