「商売にならないようなものを商売にしていくということが、私どもの進歩というか、ブレイクスルーである」。井深大の言葉として知られるこの一文を、単に無謀な挑戦を励ます言葉として読むのは適切でしょうか。ソニーの製品開発の歴史を見ると、既存の市場にはない使い方を考え、新しい技術を形にし、購入者へ届けるまでにさまざまな判断がありました。短い名言の出典の確認状況を整理し、本人の別の発言が記録された公式資料から、商売にするとはどういうことかを考えます。
出典判定:短い名言そのものの初出は未確認
井深大の名言を紹介するサイト(https://www.tsuitonet.com/masaru-ibuka/)や人物紹介サイト(https://live-the-way.com/great-man/manager/ibuka-masaru/)には、この短句が井深名義で掲載されています。しかし出典とされる著書のページ、講演日時、録音・原稿に該当する資料は特定できませんでした。日本語で流通していることは確認できても、本人の逐語的な発言として確定するには足りません。
一方、ソニーの公式史には井深が実際に市場創造について振り返った言葉が残ります。その内容は今回の短句と似ていますが、文字列は同じではありません。関連する思想を示す資料と、引用そのものの出典資料を混同しないことが大切です。
1959年、小型テレビへの否定的な予想
ソニー公式のタイムカプセル「創業者 井深の初夢、正夢となる」(https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/capsule/21/)によると、1959年、小型トランジスタテレビの開発に際して、米国テレビメーカーの市場調査担当者たちは「売れない」と否定的な見方を示しました。しかし井深らは研究を続け、1959年末にはTV8-301を発表し、1960年に発売しています。
ここで重要なのは、市場の反応を確認しないまま大量に作ったという話ではないことです。1958年にはテレビ向け大出力シリコントランジスタの開発が進み、1959年4月には試作品も完成。技術的な実現の見込みを得ながら商品にしていく過程が公式史から読み取れます。
井深自身の「マーケット・クリエーション」という考え
同じソニー公式資料には、井深が後に、新製品は市場調査の数字に従って計画するだけでは足りず、実際に商品を出すことで初めて分かる市場もあると振り返った記述があります。その核心は、新製品には市場の創造が伴うという考えです。これは出典のある別の発言であり、冒頭の「商売にならないものを商売に」という短句の逐語出典を確定するものではありません。
「市場がない」と判断する前に、そもそも既存の市場の区切り方が適切なのかを問えるでしょう。調査で見えない需要を探すとは、データを否定することではなく、どの人が何を使う場面を想定しているか、調査の前提を問い直すことです。
1955年のラジオ市場を世帯から個人へ考え直す
ソニー公式の「トランジスタラジオの開発」(https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-03.html)では、1955年ごろ、ラジオがすでに多くの家庭で使われていたことが説明されます。井深と盛田昭夫は、家庭に一台ではなく、一人ひとりが持ち歩けるものとして見れば市場の可能性が広がると考えました。
同じラジオという分類でも、家族で聴く機械と個人が持ち歩く機械では利用する理由が異なります。技術を小型化することだけでなく、使う人や場所を再定義したところに新しさがありました。どれだけ販売できるかを考える前に、誰がいつ使うかを考え直す必要があったのです。
「売れない」と「まだ使い方が知られていない」を分ける
実際に触ったことがない製品についてのアンケートでは、その製品が生活をどう変えるかまで想像するのが難しい場合があります。実物を見たり、使ってみたりして初めて価値が分かることもあるでしょう。これは調査を無視してよいという意味ではありません。試作や利用観察から得られる情報を加え、初期仮説を更新する必要があるということです。
特に新しいカテゴリーでは、既存の売上データが少ないため、条件の違う商品との比較に頼りがちになります。しかし似た製品が売れなかった理由と、今回の製品が売れるかどうかは同じとは限りません。商品や市場を評価するときは、どの条件が変わるのかを具体的に考えることが重要です。
発売するだけでは、市場は定着しない
製品を届けるには、技術開発のほかに価格、製造能力、品質、販売店や利用者への説明が必要です。ソニーのトランジスタラジオ開発史には、野球の日本シリーズで製品をホームラン賞として贈るなど、認知を高める方法を工夫したことも記録されています。新しい商品は、作っただけで自然に売れるわけではありません。
商売にするとは、一度の試作や話題づくりで終わらず、購入後にも価値を届けられるようにすることです。初期のヒットの後には、他社の参入や価格競争が起きる可能性もあります。製品を誕生させる力と、市場で事業を続ける力は、別々に検討する必要があるでしょう。
ウォークマンが変えたのは、音楽の聴き方
ソニー公式のウォークマン開発史(https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-03.html)では、1979年に録音機能を持たない携帯型ステレオカセットプレーヤーが商品化され、個人が音楽を持ち歩くという新しい場面が生まれたことが説明されています。機能の数を増やすのではなく、特定の使い方に価値を集中させた例として考えられます。
商品の開発過程については関連記事「アイデアをどう具体化するか」(https://tokainokenso.com/2024/12/20/7462/)で詳しく扱っています。本記事での焦点は、実装された商品が、それまで十分には知られていなかった使い方を市場として成立させるという側面です。
現代の新規事業なら何を検証するか
現在の事業づくりへ引き寄せると、最初から将来の販売数だけを正確に当てようとするより、誰が何に困っているか、今どのような代替手段を使っているか、試作品を使うと行動がどう変わるかを確かめるという考え方ができます。ただし、これは本稿の現代的な応用です。井深が今日のPMFやGTMという概念を、そのまま提唱したことにはなりません。
新市場をつくることと、事業の採算を無視することも違います。安全性、製造コスト、保守費用、購入者が受け入れられる価格などを評価し、結果によって計画を変更する必要があります。変えられない条件があるなら、商品化を見送ることが合理的な場合もあります。
旧記事で修正した説明
旧記事は井深の先見性や大胆さだけで商品の成功を説明し、「諦めなければ商売にならないものも必ず事業にできる」と読める構成でした。しかし市場が成立する条件は多く、本人の名言の発言時期も特定されていません。今回、名言の出典とソニー公式の市場創造の回想を分け、1950年代の開発と販売の具体的な過程へ説明を戻しました。
まとめ
「商売にならないものを商売にする」は井深大名義で流通する言葉ですが、初出の講話・著書ページはまだ分かりません。一方、井深が新製品に市場創造を伴わせる必要性を考えていたことは、ソニー公式の小型テレビ開発史から確認できます。新しい商品を作るとは、既存の市場に別の物を加えるだけでなく、新しい使い方を人々が実際に選べる状態へ変えることでもあります。発想の大胆さと、技術・市場・採算の冷静な検証をあわせて考えたいところです。
出典と調査範囲
ソニー公式『創業者 井深の初夢、正夢となる』:小型テレビの開発と市場創造に関する井深の回想。
ソニー公式『トランジスタラジオの開発』:個人向けの市場と販売方法の工夫。
ソニー公式『ウォークマンによる新しい市場の創造』:新しい利用場面と商品化の流れ。
井深大の紹介・名言ページ:短句の流通例。本人の一次原典ではありません。
出典状態:要検証。短句の逐語的な初出は未特定。ソニー公式が記録する「マーケット・クリエーション」の発言は、別の本人の言葉として扱っています。
