色川武大「幹線道路で競争してもしょうがない」|『うらおもて人生録』と自分の生き方

「幹線道路を行くようなコースでは競争したってしょうがない。自分だけの生き方を作らないとしょうがないだろう」。作家・色川武大の言葉として知られる一節です。他人と競うことを避けて、自分らしく生きようという励ましに聞こえます。しかし、この文章を「普通の仕事や生活は価値がない」という二者択一に変えてはいけません。勝負の世界を書いた作家が、何を「競争」と呼び、何を守ろうとしたかを、出版資料と名言の伝承を分けて読み解きます。

まず、引用の初出はどこまで確認できるか

「昭和ガイド」は、この日本語を色川武大の言葉として掲載し、2008年放送のNHK番組『あの人に会いたい』からの引用だと記しています。2017年の久恒啓一氏による人物紹介や、一禅堂・名言ナビにもほぼ同じ文章が掲載されています。

しかし今回、NHKの該当回の公式映像、放送日、字幕原稿、元になった生前のインタビューまでは確認できていません。また、2008年は色川の死後なので、仮に番組で紹介されたとしても、それは過去の記録を編集した放送であるはずです。よって「本人が2008年に発言した」という説明は誤りです。

名言の流通形には「行くようなコースで」「行くようなコースでは」「幹線道路を行くようなコースでは、競争したって」などの違いもあります。原録音や初出誌を確認するまでは、一つだけが厳密な本人発言だったと判断できません。

色川武大と阿佐田哲也――二つの名義

色川武大(1929~1989)は、色川の名で純文学や随筆を発表し、阿佐田哲也という筆名では『麻雀放浪記』などを著しました。新潮社の公式著者プロフィールには、1961年「黒い布」で中央公論新人賞、1978年『離婚』で直木賞を受けた経歴などが記されています。

小説を書くだけでなく、勝ち負けのある遊戯や、その場での人間のふるまいを描いた作家でした。ただし、その経歴だけを根拠に、見出しの名言は「ある賭けに負けた直後に語られた」といった場面を創作することはできません。

1987年刊『うらおもて人生録』は何を語る本か

新潮社の公式書誌によれば、『うらおもて人生録』は1987年11月30日に新潮文庫から刊行された色川の随筆集です。書籍紹介には、社会の本線とされる生き方だけが人生の全てではなく、不便さや生きにくさも含めた自分の部分を守るという主題が示されています。

実際の章題にも「劣等生の弁」「プロはフォームの世界」「九勝六敗を狙え」「黒星の算えかた」「欠陥車の生き方」などがあります。単なる成功哲学だけではなく、負けることや欠点をどう受け止めるかを長く考えた本だという手掛かりになります。

ただし、冒頭の「幹線道路」という一文が本書に収録されていると確認できたわけではありません。書籍の内容は、名言の出典を証明するためではなく、本人の著作が扱う問題を知るために参照します。

本人の文章では「正反対の経験」にも価値がある

新潮社の公式紹介には、『うらおもて人生録』の362ページから、異なる経験を往復してみることの重要性を説く本文の抜粋が載っています。学ぶことと遊ぶこと、前進と後退のように、一つの方向へ固定せず、違う状態を経験して認識を深めるという考えです。

ここからは、常識的な道をすべて拒否する姿勢とは異なる色川の柔軟さが読み取れます。「幹線道路」だけに自分を合わせる必要がないとしても、ただ反対側を歩けばよいわけではありません。自分がどのように生きると力を発揮できるか、実際の経験から判断する余地があります。

「競争したってしょうがない」の意味を単純化しない

競争がある場面で努力すること自体を、色川が全否定したと解釈するのは不自然です。『うらおもて人生録』の紹介には勝ち負け、実力、フォーム、立ちどきなど、勝負を考える章が多数並んでいます。

むしろ、他人が決めた物差しだけで順位を争うと、自分の持ち味や、どう暮らしたいかという問いが見えなくなることがある、と読む方が書籍の主題に近いでしょう。

その一方で、他者の基準には安全・品質・公正さのために必要なものもあります。自分らしさという言葉で他者への責任を無視することはできません。

色川の「フォーム」――自分なりの軸を持つ

作家・荻原魚雷氏が2014年に『うらおもて人生録』を読み直した文章では、色川の「フォーム」論を取り上げ、自分が守りたい一線や生き方の軸を持つという考えを紹介しています。

この紹介が面白いのは、一度できたフォームに固執するだけでもよいわけではないという点です。何を変えてもよく、何を守りたいのかを分ける。そうした自分自身の判断が「自分だけの生き方」に関係するのかもしれません。

ただし、荻原氏の文章は後年の書評・解釈であり、冒頭の名言の初出を確認する一次資料ではありません。

「独自の生き方」は目立つ生き方か

他人と違う職業を選ぶことや、大きな成果を上げることだけが、独自性ではありません。同じ職業でも、何を大切にし、どんな相手と働き、どのような時間を過ごすかで、自分らしい違いは生まれます。

反対に、「普通ではない」ことへ固執すると、普通という基準にかえって縛られる場合もあります。競争から完全に逃れることより、何のために競い、何を競争から切り離して守るかを考える方が、この言葉を豊かに読めるでしょう。

仕事や学習への応用

何かを始めるとき、人が評価する数字を追いかけるのは分かりやすい方法です。しかし、その数字が自分にとっての目的とずれていないか、一度立ち止まることも必要です。

例えば、仕事の肩書きだけを最優先にしていないか、学習を資格の数だけで評価していないか、創作を閲覧数や売上だけで測っていないか。複数の尺度を持つことで、過剰な競争から距離をとりながら必要な努力を続けられるかもしれません。

他方、経済的な制約や生活上の役割がある人に「好きな道だけ歩けばよい」と簡単に助言することも避けたいところです。自分で選べる部分を少しずつ増やす工夫も、一つの生き方です。

まとめ――競争の道しかないと思わない

「幹線道路で競争してもしょうがない」という色川武大名義の言葉には、NHKの2008年放送に由来するという二次的な説明がありますが、映像・元発言の直接照合は未完了です。一方、色川本人の『うらおもて人生録』は、社会で用意された本線だけではない人の生き方を明確に扱っています。言葉の初出を断定せず、本人の著作の主題へ戻って読むことで、単なる「人と違おう」という標語以上の問いが生まれます。

出典と検証状態

【流通する名言と番組への帰属】昭和ガイド・色川武大。2008年の『あの人に会いたい』由来と記載。ただしNHK公式映像との照合は未実施です。名言ナビ・コースに関する名言にも別表記があります。

【著者本人の書籍・公式書誌】新潮社『うらおもて人生録』。著者プロフィール、章題一覧、1987年刊行情報、362ページの本文抜粋を確認しました。見出しの名言が同書に収録されることの証拠ではありません。

【後年の批評】荻原魚雷「フォームとセオリー その四」(2014年)。『うらおもて人生録』の解釈として参照。

【出典状態】要検証。NHK元映像、本人の発言時期、逐語的な初出を確認できていません。

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