いわさきちひろ「人の心のあたたかさ」|1973年の最晩年の手帳に残した絵本への願い

人の温かさを受け取り、絵で返したいという願い

いわさきちひろは、誰かの温かさに助けられたとき、涙ぐみたくなるような気持ちを晩年の手帳に書き残した。その後に、自分は勇ましい表現で人を鼓舞する画家ではなく、小さな絵本を描く人間なのだという趣旨の言葉が続く。大きな力を誇示することではなく、自分の手の届く表現で誰かの役に立ちたい。その願いを読むための文章である。

旧記事では、この一節から「弱さを受け入れれば強くなれる」という一般論を展開していた。しかし、ちひろが実際に書いた文章では、他人から受けた親切の記憶と、自分の絵本の行き先がつながっている。自分が救われたから、いつか読者の心を少しだけ和らげたいという、具体的な関係が見えてくる。

同時に、誰かの悲しみを絵一枚で解決できる、と言い切ってはいない。読者が苦しいとき、かつて読んだ絵本を少し思い出してくれたら、という控えめな希望だ。表現にできることの大きさと小ささを、両方知っているように感じられる。

出典は1973年の最晩年の手帳

ちひろ美術館・東京の公式ブログは、2024年4月23日の「子ども読書の日」に、この文章を公開している。記事内の資料表記は「ちひろ最晩年の手帳より 1973年」。書籍に収められた格言を孫引きしただけではなく、作家ゆかりの美術館が本人の手帳にさかのぼって提示した資料である。

原文の前半では、力のなさを感じたときに人の心の温かさに胸を打たれると語る。旧記事の見出しでは表記が平易な漢字に直され、一部の言い回しも省略されていた。本文を逐語的に引用する場合は、美術館掲載文を確認し、流通形と原文を区別する必要がある。

今回確認したのはちひろ美術館・東京「『子ども読書の日』に」(2024年4月23日)の公開テキストである。1973年の手帳の現物、筆跡、全文や書き直しの有無までは直接検証していない。出典の範囲を明確にすることで、他の記事からも根拠をたどれるようにしておく。

「ささやかな絵本の絵」に託したもの

ちひろが自分の仕事を説明するとき、勇壮な油絵のイメージと、絵本の絵を対比させていることは興味深い。そこには画材やジャンルの優劣を決める意図よりも、自分が人に届けたい感情の質を、ありふれた言葉で確かめる姿勢が感じられる。

彼女の描く子どもたちは、楽しいときばかりではない。戦争の不安、さびしさ、ためらいも作品の題材になった。ちひろ美術館の作家紹介でも、子どもを生涯のテーマとし、水彩のにじみやぼかしを生かした制作と平和への願いが紹介されている。やわらかな表現は、世界に苦しみがないと信じるためのものではなかった。

絵本の絵は、読み終わった瞬間にすべての意味が分かるとは限らない。何年かたって、色や表情をふと思い出すこともある。ちひろの言葉は、そのような記憶の残り方を願っていると読める。作者が読者の気持ちを操作するのではなく、必要なときに思い出される余地を残すことが大切なのだろう。

絵本と他者からの支えは、どうつながるのか

この手帳の一節を、才能ある作家の高潔な宣言と読むだけでは、文章の順序を見落としやすい。まずちひろ自身が人から温かさを受け取っている。そのうえで、自分の絵を通じて人に感謝を返したいと述べる。一方的に与える側の物語ではなく、受け取ったものを循環させる願いになっている。

例えば、幼いころに親しんだ絵本を、大人になって別の気持ちで読み直すことがある。作品を理解したと言い切れなくても、ずっと忘れられなかった絵に気づくかもしれない。ちひろ自身も1968年の文章で、幼いころの絵本体験が自分の心の糧になったと語っている。作品を受け取る経験が、次に作る人の手元へつながる。

ただし、これを「困っている人には絵本を読ませればよい」という処方箋へ置き換えるのは違う。悲しみの中で何が助けになるかは人それぞれであり、専門的な支えや身近な助けが必要になることもある。絵本の役割を過大評価せず、その小さな可能性を大切にするという読み方がふさわしい。

手帳に残した言葉を、いま読む意味

ちひろの最晩年の手帳からは、完成した芸術論とは少し違う、素朴な願いが伝わってくる。社会的な使命を抽象的に唱えるよりも、自分の弱さを感じた瞬間と、誰かのために描きたいという思いが、同じ文章の中に置かれている。ここに本人の経験と仕事が接続する。

何かを作り、届ける仕事をする人なら、自分の表現が受け手の人生をすべて変えることはできないと知っているだろう。それでも一つの文章や絵が、誰かにとって後で思い出すことのできるものになるかもしれない。結果を保証できなくても、相手の時間を思って仕事をする。これが本文から得られる一つの編集上の解釈だ。

出典はちひろ美術館の公式記事。基礎的な画業はいわさきちひろ生誕100年記念サイトの略歴に確認できる。関連する「心の糧」についての記事は1968年の別の文章を扱う。1973年の手帳と1968年の回想を読み比べると、絵本を受け取った側と、描く側の両方の視点が見えてくる。

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