内田百閒「臆病ということは不徳ではない」|『百鬼園日記帖』と子どもの神秘的な恐怖

「臆病ということは不徳ではない。のみならず場合によれば野人の勇敢よりも遙かに尊い道徳である」。内田百閒(百間)の名で紹介される言葉ですが、この文章を単に「慎重に行動しよう」という人生訓として読むと、大切な部分が抜け落ちます。『百鬼園日記帖』からの引用として紹介されている前後の文章では、子どもが暗い森や狐・狸の物語に感じる、神秘的な恐怖と想像力が主題です。

出典の確認状況|『百鬼園日記帖』の一節として紹介されている

この言葉を含むまとまった文章が、講談社版『内田百閒全集』第三巻を紹介する読書記事で『百鬼園日記帖』の一節として掲載されています。その転記では、問題の一文の前に、子どもに神秘的な恐怖を教えたいという趣旨の記述があります。後ろでは、暗い森に何が住むのかと想像する子どもと、森の生き物を退治しようとする子どもを対比しています。

この出典情報は、無出典の名言集に比べて、作品内の前後へ戻る有力な手がかりになります。ただし今回、刊本の該当ページを直接開いて原文を校合したわけではありません。言葉が『百鬼園日記帖』と結びついていることと、特定の版の表記・日付・掲載ページまで確定できたことは区別します。

筑摩書房の刊行情報では、ちくま文庫『内田百閒集成20――百鬼園日記帖』が、『百鬼園日記帖』と『続百鬼園日記帖』を収録すると示されています。国立国会図書館にも同作の書誌があります。引用の表記や日付を厳密に示す際は、これらの刊本を開いて該当箇所を確認する必要があります。

「臆病」をほめたのではなく、子どもの想像力を考えていた

断章の文脈には、身の危険を避けて慎重に動くという実務的な意味以上のものがあります。暗い森の向こうに何がいるか想像し、怖い話に心を動かされること自体を、子どもの感覚や物語経験として重んじているのです。

ここで対比されるのは、恐怖をすぐに取り除こうとする態度と、未知の存在に畏れや不思議さを感じる態度です。百閒の文章を子どもの教育についての思索として読むと、「勇敢か臆病か」という性格の優劣を決めるより、何を恐れ、何を想像できるかという問いが前面に出ます。

狐・狸・お化けが登場する理由

引用元として紹介される文章には、狐や狸、四つ辻のお化け、雷などが現れます。こうした伝承は、自然現象や暗闇を科学的に説明するだけでは汲み尽くせない想像の領域と結びついています。もちろん、怖い話を子どもへどの程度伝えるべきかは、子どもの年齢や受け止め方にも左右されます。

百閒の見方を現代の教育の唯一の正解とする必要はありません。恐怖が想像力を育てることもあれば、過度な怖がらせ方が負担になることもあります。作品中の主張を、そのまま現代の心理学的な実証結果として紹介しないことが重要です。

文学研究から見える「神秘的な恐怖」の位置づけ

松原大介による論文「内田百閒『短夜』論――典拠と『神秘的な恐怖』を手掛かりに――」(『日本近代文学』106号、2022年)は、日記の中の子どもと恐怖をめぐる発想が、後の作品「短夜」にどう表現されたかを検討しています。この論文の抄録は、日記の「神秘的な恐怖」が、文学作品の表現を理解するうえで重要な問題であることを示します。

つまり、百閒のこの一文は、単発の自己啓発的な標語よりも、日記で考えた想像と怖れの問題が創作へつながる過程に置いて読む方が、具体的な作品理解に近づきます。ただし、論文の抄録だけで当該一文の文字表記や日記の日付を検証できるわけではありません。

「野人の勇敢」は何を批判しているのか

この言葉だけを切り出すと、勇敢な人を貶して臆病な人を賞賛したように読めます。しかし前後と一緒に読むなら、分からないものをすぐ退治しようとする態度と、分からないものの存在に感じ入る態度の対比が見えてきます。

ここから「危険なときにも何もしてはいけない」と結論づけることはできません。現実の危険への対応と、物語や自然の不思議さに想像力を働かせることは違う問題です。

現代に引き寄せて考えるなら|怖さをすぐに欠点と呼ばない

  • 怖いと感じたとき、現実の危険と、まだ分からないことへの想像を区別できているか。
  • 子どもや他者の「怖い」を、勇気が足りないという一言で片づけていないか。
  • 物語や未知のものに向き合う余白を、説明や効率だけで埋めていないか。

これは現在の読者へ向けた解釈です。百閒が仕事のリスク管理や心理療法の手順を示したと扱うものではありません。

まとめ|「臆病さ」の奥にある、未知を感じる能力

「臆病ということは不徳ではない」は、『百鬼園日記帖』の一節として前後の文章とともに紹介されています。そこで問題とされるのは、単に大胆な行動を控えることではなく、暗い森や昔話を前にした子どもの想像力と神秘的な怖れです。刊本のページ照合は残るものの、文脈を戻すことで、一般的な「慎重であれ」という解説とは異なる文学的な問いが見えてきます。

資料・さらに読む

内田百閒の言葉と未知への想像を考えるためのイメージ写真

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