「できないことを何とかしようとするよりも、できることを楽しんだほうがいい」。この言葉は、民族学者・梅棹忠夫の名で紹介されています。何かを諦めるための言い訳にも、前向きな自己啓発の掛け声にも聞こえる一節ですが、出典の手掛かりを調べると、梅棹の研究者としての人生、そして1986年の視力喪失という状況を念頭に置いて読む必要があることが見えてきます。ただし、本人がこの言葉をどのような問いに答えて語ったのか、雑誌原本は未確認です。
名言の出典候補は雑誌『NEXT』1991年4月号
できないことを何とかしようとするよりも、できることを楽しんだ方がいい。
この一文を収録する「名言ナビ」では、出典として雑誌『NEXT』1991年4月号が挙げられています。サイトにはこの前段として、できないことをできないと認める姿勢を語る文章も掲載されています。
参照:名言ナビ「できないことを何とかしようとするよりも」。ただし名言ナビは二次的な収録サイトであり、原誌のページ、見出し、聞き手、取材日、発言が記された文脈を今回直接確認できていません。このため「梅棹の言葉」として流通していること、具体的な掲載誌の候補があることまでを確認結果とし、逐語的な出典照合は「要検証」とします。
梅棹忠夫は何を研究していた人物か
梅棹忠夫(1920~2010)は、探検・生態学的な調査から文化人類学・民族学へ研究を広げ、『文明の生態史観』『知的生産の技術』などを著しました。1974年には国立民族学博物館の初代館長となっています。生年・没年については国立国会図書館の著者典拠に、経歴については国立民族学博物館・梅棹忠夫アーカイブズ「略年表」に記録されています。
重要なのは、彼を単に「困難に負けない偉人」というひとつの物語へ閉じ込めないことです。研究者であるとともに、多様な地域で調査と企画を行い、情報を生み出し整理する方法を考え続けた人物でした。
1986年の視力喪失という事実と、発言の文脈は分ける
国立民族学博物館の略年表によれば、梅棹は1986年、球後視神経炎によって両眼の視力を失いました。その後も著述・発言などを続け、1993年には館長を退任しました。この事実は公的なアーカイブに記載されています。
二次的な名言収録サイトは、視力喪失の後にも本人がピアノや中国語学習に取り組んだと説明しています。ただし、こうした補足情報については、今回原誌または本人の回想録における該当箇所までは直接照合していません。病気を経験したから必ずこの一節を生んだ、という因果関係は断定できません。
この区別を守れば、本人が経験した困難に必要以上の意味を押し付けず、言葉の前後を調べる方向へ進めます。
「できない」と認めることは敗北なのか
私たちは何かができないとき、さらに努力すればできるのではないかと考えます。実際、練習や協力によって可能になることはあります。しかし、条件を変えても難しいことや、特定の時点で利用できない方法があることも事実です。
「できない」を認めることは、今の自分や他人の価値が低いと認めることではありません。状況を正確に理解することに近いでしょう。それまでの方法だけに固執せず、別のやり方で目的へ向かう可能性も生まれます。
ただし、何ができるかできないかを第三者が勝手に決めることには注意が必要です。本人が挑戦するかどうかを選ぶ権利や、支援・合理的な環境調整によって可能になる選択肢も大切にしたいところです。
「できることを楽しむ」は、無理な楽観主義ではない
この言葉を、「苦しいと感じたら努力不足」「困っていても笑顔になれ」という命令に変えるのは適切ではありません。人は喪失や環境の変化のただ中で、すぐに楽しみを見いだせるとは限りません。
むしろ、失ったものを悲しむ気持ちがあっても、使える道具や参加できる活動、続けられる好奇心を少しずつ探すという読み方ができます。何かを楽しめることと、困難の大きさを過小評価することは、別です。
『知的生産の技術』という別の仕事とつながる
梅棹は1969年に『知的生産の技術』を刊行しました。国立民族学博物館の年表でも著作として確認できます。そこから彼の仕事の一つに、知識をどう記録・整理し、使える形にするかという関心があったことが分かります。
本記事の「できることを楽しむ」という表現を、その著作が直接説明していると断定はできません。ただし、道具や手段を変えながら知的活動を続けることは、梅棹の研究と実践を考える一つの入口になるでしょう。
仕事や学びで使うなら、三つを分けて考える
この表現から現代的な応用を考えるなら、まず「できないと感じていること」を具体化する。そのうえで、①本当に条件上難しいこと、②支援や道具を使えばできること、③いま使える力を生かして楽しめることを分ける方法があります。
例えばある作業の進め方が合わなければ、道具を変える、誰かと分担する、違う形式で成果を残すといった選択肢があります。この三つの分類は当サイトによる提案であり、梅棹がこの手順を直接説いたわけではありません。
まとめ――制約を知り、その内側だけに閉じ込もらない
「できないことを何とかしようとするよりも、できることを楽しんだほうがいい」は、梅棹忠夫の名で流通し、二次資料には『NEXT』1991年4月号という具体的な出典候補があります。しかし、原誌の本文、版面、前後の問答はまだ未確認です。
梅棹の経歴や1986年の視力喪失は国立民族学博物館の資料で確認できますが、その出来事を引用の出典そのものと混同しません。制約を直視することと、いまの自分にある可能性へ目を向けることを、両立させるための言葉として読みたいと思います。
資料・出典ステータス
【引用の出典候補・二次資料】名言ナビ。『NEXT』1991年4月号の情報を確認。ただし原誌未照合。
【公的な人物情報】国立民族学博物館「梅棹忠夫関連略年表」/国立国会図書館の著者典拠。本人の基本経歴と1986年の出来事を確認。
【未確認】『NEXT』の当該ページ・原文・取材の文脈、話した日時、名言ナビの引用形との字句一致。出典ステータス:要検証。名言の出典ステータスの読み方。
