はじめに
子どもに問題が起きたとき、親はわが子以外の人に原因を求めようとする――。作家・遠藤周作の言葉として、このような趣旨の文章が名言集で紹介されています。ただし、遠藤がどの作品や取材で述べた文章なのか、話者が誰なのかを特定できていません。作品中の人物の発言なのか、作者自身の意見なのかを区別できない状態です。
この表現には親の心理についての強い一般化が含まれます。しかし、「どんな母親でも」という断定は、母親全員の行動を示す事実として受け取るべきではありません。愛情が判断にどう影響するかという問いと、母親という集団を一括りにする見方を分けて考えます。
原典として確認できる範囲
名言ナビの「子供・我が子に関する名言」一覧には、この文章が遠藤周作に帰属する形で掲載されています。しかし、書名、版、ページ、発話の場面などは付されていません。この一覧は流通する帰属の参考資料であり、一次原典を確認したことにはなりません。
町田市の作家紹介では、遠藤周作が『海と毒薬』『沈黙』『侍』などを著したことや、キリスト教受容、人間の弱さを主題に扱ってきたことが確認できます。作家の一般的な主題と、特定の一文の発言者・文脈は別です。
旧記事では、この文章を遠藤自身の家庭経験や親子観から生まれた名言として説明していました。しかし、そのような成立事情を裏付ける資料はありません。人物の伝記を引用の直接の理由にする説明は撤回します。
子どもを守ることと責任を考えること
子どもが何か失敗したとき、事情をよく聞かずに責めることは避けたいものです。親や周囲の大人が味方でいることには、安心して話せる場をつくる意味があります。子どもの話を聞くことと、子どもの行動をすべて正しいと認めることは違います。
何が起きたかを確かめるには、本人の説明だけでなく、相手の立場や状況も必要になる場合があります。愛情があるからこそ事実を丁寧に確かめ、必要なら行動の責任も一緒に考えるという関わり方ができます。
原因を他人に求めたくなるとき
大切な人が責められると、自分も攻撃されたように感じることがあります。相手を守ろうとする気持ちが強いと、ほかの説明を見落とす可能性もあります。これは親に限らず、友人や職場の仲間についても起こり得る一般的な問題です。近い関係ほど、自分の見方を点検することに意味があります。
一方で、何かが起きた理由を一人だけの責任にすることも適切とは限りません。状況や周囲の影響を調べたうえで、本人が選んだ行動を考える必要があります。責任を押しつけるのでも、すべて免除するのでもない態度が大切です。
「母親」を一つの型に閉じ込めない
子どもを育てる人の考え方も、家庭の形もさまざまです。母親だけが子どもの行動に責任を持つわけでも、母親なら必ず同じ心理になるわけでもありません。ある文章の印象的な一般化を、現実の全員に当てはめないことが重要です。
親だけでなく、父親、祖父母、教員、地域の人など、子どもに関わる大人が協力することもあります。子どもを理解し、必要な援助を考える責任を一人に集中させない視点も求められます。
日常で考えてみる
身近な誰かについて意見が分かれたときには、すぐに擁護や非難を決める前に「確認できている事実は何か」を問い直すことができます。推測や気持ちを、事実と同じ扱いにしないという工夫です。
そして、相手への好意や信頼を維持しながら、必要な問題には向き合う。誰かを大切にすることは、その人の行為を無条件で正当化することではないと考えることができます。
出典状態と参照資料
出典状態:要検証。遠藤周作に帰属する文言が名言一覧にあることは確認しましたが、作品名・版・ページ・話者は未確認です。作者個人の一般論と断定せず、文学作品内の発言だった可能性も残します。出典ステータスガイドをご参照ください。
遠藤周作の死と通過儀礼に関する流通文言の記事では、別の主題について考えています。同じ作家の言葉でも、一つ一つの発話・作品を特定する必要があります。
まとめ

親が子どもをかばいたくなる気持ちは理解できても、それを母親全員に当てはめたり、事実確認を放棄したりする理由にはできません。大切な人を守ることと、問題へ誠実に向き合うことを両立させるという問いとして、この流通表現を考えたいところです。ただし、遠藤周作の作品内文脈や本人の確定した意図は未確認です。