「わが輩は、爆弾くらいで青くなるような腰抜けじゃない」。大隈重信の豪胆さを表す名言として紹介される一文です。けれども、これを1889年の爆弾襲撃の瞬間に発した言葉だと紹介すると、史実と発言の時点を混同しかねません。調査では、事件は1889年10月18日に起きた事実である一方、名言の文章は後年の回顧談を紹介する資料に見つかることが分かりました。さらに、元の引用例では「爆弾」ではなく「爆裂弾」と表現されています。

1889年10月18日、大隈重信の身に何が起きたか
国立公文書館「明治22年10月 大隈重信外相が条約改正交渉反対派の青年に負傷させられる」は、黒田清隆内閣の外相だった大隈が、不平等条約改正の交渉に取り組んでいた経緯を記録しています。外国人裁判官をめぐる問題などで反対論が広がり、10月18日、閣議後に外務省へ向かう大隈に、玄洋社の来島恒喜が爆弾を投じました。
大隈はこの襲撃で右脚切断の重傷を負い、条約改正交渉も中断されました。事件は単なる個人の勇気試しではなく、条約改正をめぐる激しい政治的対立の中で起きた暴力事件です。
早稲田大学歴史館の2025年10月16日付FAQは、『早稲田大学百五十年史』『早稲田大学百年史』と関係資料を示し、犯人や襲撃の状況、外務省での治療、療養資料について詳しく紹介しています。大学史と国の公文書の両方で、事件の基本的な事実を照合できます。
言葉の出所――『大隈重信は語る』を紹介する書評
出門堂「偉人図書館 第3回 回顧録と日記」には、大隈が事件を振り返って語った言葉として、問題の一節とその後の文章が紹介されています。引用では「爆裂弾」という語が使われ、加害者の行動についての大隈の見解や、事件直後の様子も続きます。出門堂は出典を『大隈重信は語る』と明記しています。
同シリーズの書籍紹介の前半ページによれば、『大隈重信は語る』は早稲田大学出版部『大隈重信叢書』の第1巻として編まれています。したがって、少なくとも具体的な書名へたどれる引用です。
ただし、当サイトでは『大隈重信は語る』現物の該当ページと、そのさらに前にある発言の初出資料を直接校合できていません。出門堂の紹介は重要な手がかりですが、それを本人の自筆原稿や事件直後の速記録と同一視することはできません。
なぜ「襲撃直後の捨てぜりふ」として扱わないのか
事件当日について早稲田大学歴史館が紹介する大学史には、襲撃の衝撃を受けて大隈が短く叫んだとする記述があります。しかし、そこで紹介される言葉は、今回の「爆裂弾ぐらいで青くなるような腰抜けじゃない」とは別の文章です。
さらに大隈自身が後年、襲撃時に意識を失い、負傷した足の痛みに苦しんだことを語った回想もあります。早稲田大学歴史館は1910年刊『大隈伯社会観』を示しながら、その回想の一部を紹介しています。
名言の強い口調を理由に、事件現場で余裕をもって言い放った場面を創作するべきではありません。事件の時刻と、後年それを語った時刻は別です。
文言の違い:「爆弾」と「爆裂弾」
旧記事の表題には「爆弾くらいで」とあります。一方、『大隈重信は語る』を引く出門堂の資料には「爆裂弾ぐらいで」という形が見られます。現代の読者にはどちらも似た意味に感じられますが、引用文の正確さを考えると、こうした変更も示す必要があります。
「わが輩」「我が輩」「吾輩」などの漢字・かなの違いも、資料の表記によって起こり得ます。版や初出が確定しない限り、当サイトで自然な言葉に整えた文章を、歴史上の本人の逐語表現として確定させることはしません。
歴史上の苦難を、精神論へ還元しない
大隈が事件を生き延びた背景には、本人の態度だけでなく、当時の医師らによる手術や長い治療があります。戦傷病者史料館しょうけい館の義足の展示解説は、負傷後の大隈の義足と歩行上の危険を紹介しています。
爆弾で重傷を負うことも、身体の一部を失うことも、勇気によって簡単に克服できる出来事ではありません。心の強さを称えるとしても、身体的な損失や周囲の支援の現実を消してしまうべきではありません。
加害者への評価と、暴力の正当化は別
大隈は後年、来島の行動に現れた決意や勇気について複雑な言葉で振り返ったと伝えられています。それを、大隈が襲撃そのものを正当化したと単純化するのも適切ではありません。
政治的な見解がどれほど対立しても、暴力で相手を負傷させることは別の問題です。歴史的人物の寛容さに注目する文章を書く際にも、襲撃された人の被害や暴力の結果を軽く扱わないことが重要です。
今日の生活や仕事で考えられること
この言葉から、困難に動じない心を理想として受け取る人もいるでしょう。ただし、「動揺してはいけない」「怖がったら弱い」という意味で誰かに使う必要はありません。現実の危険に対して恐怖を感じるのは自然で、助けを求めることも適切な判断です。
- 事実を見る:困難や危険の内容を、勢いのある言葉から切り離して確認する。
- 支援を考える:ひとりで耐えることだけを成功とせず、必要な医療・専門家・仲間の力を借りる。
- 語られた時点を確かめる:事件直後の発言なのか、後の回想なのかを区別する。
これは当サイトが整理した読み方であり、大隈本人が現代の仕事術として示した項目ではありません。
まとめ――強い言葉ほど、いつ語られたかが重要
1889年10月18日の爆弾襲撃は公的資料で確認でき、『大隈重信は語る』を引いた紹介資料には「爆裂弾ぐらいで青くなるような腰抜けじゃない」という回想が残っています。しかし、『大隈重信は語る』現物のページと、最初の発話日時は未確認です。事件の瞬間の叫びとして捏造せず、後年の回想に由来する言葉として紹介します。
参考資料と出典状態
- 国立公文書館「大隈重信外相が条約改正交渉反対派の青年に負傷させられる」:1889年10月18日の事件と政治的背景。
- 早稲田大学歴史館「大隈遭難関係資料はあるか?」:大学史、1910年『大隈伯社会観』の回顧談、残存資料と治療記録。
- 出門堂「偉人図書館 第3回 回顧録と日記」(続き):『大隈重信は語る』からの対象の一節を引用。原本ページ未照合。
- 出門堂「偉人図書館 第3回 回顧録と日記」:『大隈重信叢書』第1巻としての『大隈重信は語る』の位置。
- しょうけい館「義足の開発と改良」:大隈の義足と負傷後の生活条件。
出典状態:要検証(書名に到達、原本ページ未校合)。事件の発生と後年の回顧談という枠組みは確認済みです。短文の初出と字句を『大隈重信は語る』原本で直接照合できたわけではないため、原典確認済みへは昇格させません。出典確認レベルについてもご覧ください。