小平浪平「機械を自主技術でつくる」|日立創業と五馬力モーターの挑戦

「日本の工業を発展させるためには、機械を外国から輸入するだけでなく、自主技術・国産技術によって製作すべきだ」。日立製作所の創業者・小平浪平に帰されるこの言葉は、日本のものづくりの歴史を考える手掛かりになります。けれども、旧記事で紹介されてきた長い一文について、小平本人がいつ、どこで、どのような文章として発表したのかは、今回確認できていません。

一方、小平が海外製品への依存に問題意識を持ち、自主技術で電気機械を製作したいと願ったことは、日立の公式沿革から明確に確認できます。ここでは、引用の逐語的な正確さと、歴史上の出来事を分け、実際に1910年の国産モーター開発へ至った仕事を読み解きます。

出典判定:思想は日立公式で確認、長文の逐語原典は未特定

日立の公式MISSIONページでは、小平が外国の製品・技術に頼っていた当時の日本で、外国技術に依存しない技術力を育てて国の発展と暮らしの豊かさにつなげたいと考えていたことが説明されています。公式ページは、小平の言葉として「やせても枯れても自分で作ってみたい」という短い発言も紹介しています。

NTT西日本のBiz Clipによる小平の歴史紹介にも、外国製機械への依存を問題視し、自主技術・国産技術を育てるべきだと考えた経緯が記されています。ただし、これらの資料は、冒頭の長い日本語文を小平の講演・手紙・日記から逐字引用したと証明するものではありません。

同じ趣旨の長い言葉は後世の人物紹介サイトにも掲載されています。しかし、引用の初出、日付、書簡や講演記録などの原本を同定できないため、元の長文を「小平が確かにそう発した」と断言することはしません。 記事の出典ステータスは「文言変化・要検証」とします。

なぜ外国製機械への依存を問題と考えたのか

明治期の日本では電力利用や工場の近代化が進みましたが、大型の電気機械など重要な設備は外国製の製品に頼る場面が多くありました。小平は、発電・送電に関わる仕事を経験し、輸入した機械を据え付けたり修理したりするだけで終わってしまう現実を見ていました。

日立の公式「マンガで知る 小平浪平」では、外国製機械が多く使われる職場で、小平が日本製の電気機械をつくって社会の役に立ちたいと願い、日立鉱山の工作課長になった経緯が紹介されています。ここでの問題意識は、外国という出自そのものへの反感よりも、必要なものを自分たちの技術で設計・製作できる力を持ちたいという志向として理解できます。

外から技術を学ぶことと、自ら開発する力を持つことは矛盾しません。日立が紹介する創業史にも、諸外国の新しい技術を取り入れながら国産化を目指した経緯が見られます。海外の知識を拒否するというより、学んだ技術を自分たちの力として使えるようにすることが重要だったのでしょう。

1910年の五馬力モーター:思想が製品になった場面

日立の2022年11月18日付発表によれば、日立鉱山で用いるために開発された「五馬力誘導電動機」は、日立の最初の製品で、日本人が設計・製作したモーターとして現存最古のものです。小平の指示のもと、高尾直三郎らが設計と製作を担い、1910年に完成しました。

「自主技術」という言葉が具体性を持つのは、ここで一人の創業者の思いつきではなく、技術者たちが実際の設計・試作・改良に取り組んだことです。製品を国産にしたいと願うだけでは機械は動きません。材料を選び、回路や構造を設計し、不具合を調べ、動くまで試す仕事が必要でした。

公式資料には、当初なかなか回らなかったモーターが動いたときに、関係者が周りを囲んで喜んだという小平の回想も紹介されています。これは、技術の国産化が国家的な標語ではなく、失敗を重ねた現場で実現したことをよく表すエピソードです。

創業者の志と、現在の日立の企業理念

現在の日立は、日立グループ・アイデンティティの最上位に、「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」というMISSIONを置いています。企業が後世に定式化した理念と、創業者個人がある時点で発した言葉は同じではありません。

ただし両者を結ぶ核となる考え方は一貫しています。重要なのは「技術を自分たちで持っている」こと自体ではなく、それによって人々の暮らしや社会の課題にどう貢献するかです。自主技術は、組織の誇りを守るためだけのものではなく、社会に役立つ製品や仕事を実現するための手段でもあります。

自主技術と「何でも自前で作る」は違う

現代の企業がこの話を読むなら、注意したい点があります。世界中のすべての技術を自社だけで開発することは、費用や専門性の面で現実的ではありません。外部から優れた技術を学ぶこと、他社と共同開発すること、適切な部品を購入することも、優れた製品のための重要な選択肢です。

では何を自分たちでつくるべきか。例えば、製品の中核となる技術の仕組みを理解する、故障を自分たちで直せるようにする、顧客の要求に合わせて改良できる人材を育てる。これらは必ずしも全部の部品を自社生産することではなく、重要な判断と改善の能力を内部に育てることです。

ここでの現代企業への応用は当サイト独自の解釈です。小平自身が今日のサプライチェーンやソフトウェア開発の最適な方針を論じたという意味ではありません。

似たもう一つの名言との違い

当サイトには小平浪平「国産技術を確立する初心こそ日立精神」という別記事があります。そちらは、資本的に不利な組織が技術を強みにするという長い定型句の真偽と背景を扱っています。こちらの記事は、外国製機械への依存という明治期の条件と、1910年のモーター開発に焦点を当てています。引用の言い回しはどちらも原典確認が必要ですが、記事の中心となる問いは異なります。

旧記事からの変更と確認資料

旧記事では、長い文言を出典未提示のまま小平本人の名言として断定し、「国産技術を信じれば成功する」という説明を反復していました。また、ほぼすべての工業技術の発展を小平一人の力で説明していました。今回は、引用の確度と事実関係を分け、実際にモーターを開発した技術者たちと日立鉱山の仕事を具体的に示しました。

出典状態:文言変化・要検証。主要な確認先は、① 日立公式MISSION(小平の志と短い原文)、② 日立の創業史(当時の経緯)、③ 日立の五馬力モーターに関する発表(製品、開発者、1910年)、④ Biz Clipの小平浪平紹介(後世の伝記的説明)です。④は小平本人の発言の一次資料ではありません。

出典調査の方法や他の名言の状況は、出典監査索引にまとめています。

ほかの記事を探す

記事の訂正・出典情報は、お問い合わせから該当記事のURLと根拠資料をお知らせください。