「事業を興すなら、志を持たないといけない。それも終生の志です」。アシックスの創業者・鬼塚喜八郎が、起業家へ向けて語った言葉です。ここで重要なのは、目標を一度決めれば事業が必ず成功する、という約束ではありません。簡単に状況が変わってしまう商売の中で、何のために続けるかという問いを持ち続けることです。
この発言は2004年6月号『ベンチャー通信』に掲載された本人インタビューで確認できます。同じ取材では、鬼塚が1949年に会社を創業した経緯、利益だけを目的とする商売への疑問、事業で直面した困難、具体的な市場開拓の方法まで語っています。本稿はそのうち、志と継続、状況の変化にどう向き合うかに焦点を当てます。
原典:2004年『ベンチャー通信』第10号
『ベンチャー通信Online』後半には、人生の使命を見つけた際の気持ちを尋ねられた鬼塚の回答が載っています。鬼塚は、事業の成否には長く持ち続けられる志が大切だと述べ、続く「志とは何か」という質問では、仕事の動機を自分に問い直す必要があると語っています。
単独で切り取られた長い名言の後ろには、私欲を超えた目的を持つこと、人々が協力する理由、困難にぶつかった際に何を支えにするかという説明が続きます。出版社や取材媒体を示せない引用集とは違い、質問者との問答をたどれる点が今回の資料の強みです。
ただし、2004年の取材で鬼塚が自分の過去を語ったことと、1949年の出来事が当時の同時代資料で逐語的に確認できたことは同じではありません。創業年や製品の発売年についてはアシックスの公式沿革と照らし合わせます。
「志」は願望ではなく、取り組む理由として語られた
同じインタビューの前半で鬼塚は、終戦後に戻った神戸で若い人々の苦境を見た経験を振り返っています。その後、スポーツの教育的な意義を知り、自分の事業を青少年の育成に役立てたいと考えるようになったと語りました。
アシックス公式沿革も、1949年の創業と、戦友から聞いた心身の健全な育成という考えがスポーツシューズ製作の動機になったことを紹介しています。鬼塚にとっての志は、漠然と有名な経営者になりたいという願いとは異なり、事業が社会に何を提供するかという問いでした。
同じ志でも、つくる商品は変わっていく
1949年、鬼塚株式会社は小さな規模で設立され、1950年には最初のバスケットボールシューズを発売しました。1951年には競技の動作に合わせた吸着盤型の靴を開発し、その後もマラソンやレスリングなど、さまざまなスポーツのシューズを生み出していきます。
さらに1977年には企業統合によってアシックスが発足しました。靴だけでなくスポーツ用品全般へ広がったことを考えると、「終生の志」は最初の商品や販売方法を一生変えてはいけないという意味ではないでしょう。
目的を維持することと、目的に到達する方法を変えることは両立します。ここは本人の発言と会社の実際の変遷を基にした当サイトの読み方です。鬼塚が2004年の回答で1977年の企業統合を直接説明していた、という意味ではありません。
志があると、危機を必ず乗り越えられるのか
取材の中で鬼塚は、事業を興す以上、危機は訪れると語り、それに耐えるためには強い動機が必要だと説明します。強い目的意識があれば、目先の損得だけでは理解できない判断を選びやすくなるかもしれません。
しかし、どれほど使命感を持っていても、資金が尽きたり、需要がなくなったり、身体を壊したりすれば、事業を続けられないことがあります。努力すれば必ず報われる、という因果法則をこの発言が証明したわけではありません。
鬼塚本人も同じインタビューの締めくくりで、健康を忘れてはいけないと述べています。続ける意思の強さを称えるだけでなく、続けるための身体や組織の条件が要るという点も忘れないようにしたいところです。
志の言葉だけでは人は協力しない
何を実現したいかという目的が明確なら、協力する人が見つかる可能性はあります。しかし、掲げた理念と現場の行動が一致しなければ、かえって信頼を失うでしょう。例えば、青少年の健康を大切にすると言いながら、使う人の安全性を確かめずに商品を売れば、理念との矛盾が生まれます。
アシックスの沿革では、初期のバスケットボールシューズに関して、強豪校で試作を検証し改良した過程が紹介されています。吸着盤型の靴も最初は止まりすぎるという問題があり、選手の使い方に合わせて修正されました。
目的を掲げたから成功したと単純化するより、目的に役立つ製品をつくるための失敗と改善があったと見るほうが具体的です。志は、難しい条件に向き合う理由にはなっても、品質管理の代わりにはなりません。
終生という言葉が問いかけるもの
事業を始めるときの目標は、最初の売上、資金調達、新製品の発売など、短い期限で設定できるものもあります。それらは重要ですが、達成した後に何を目指すのか、別の問いが残ります。
鬼塚が「終生」と強調したのは、ひとつの数字を達成することより、事業を続けていく理由を失わないことの大切さだと読む余地があります。企業の形や顧客の要求が変わったときにも、何を守り、何を変えるかを判断する基準になります。
ただし、当初の目的が時代に合わなくなった場合、無理に維持することだけが誠実な選択ではありません。事業の目的も、社会や顧客の変化に合わせて点検する必要があります。
今の起業や仕事で考えるなら
『なぜこのサービスをつくるのか』という問いと、『半年後に何を達成するか』という問いを分けて考えてみる。前者は方向を示し、後者は進み具合を測る役割を持ちます。両方が必要で、どちらかだけでは不十分になりがちです。
さらに、その目的が本当に利用者の役に立っているかを確かめる。売上が伸びなければ商品を変える、利用者の問題が変われば届け方を変える。そのとき、掲げた志に戻ることが判断の助けとなる場合があります。
これは2004年の本人の発言を現代の事業運営へ引き寄せた当サイトの考察です。鬼塚が今日の起業家へ特定のKPIや経営フレームワークを提案したという意味ではありません。
関連記事と独自の論点
同じ2004年の取材から、「起業の使命」では事業を始める動機を、「儲けるだけでは続かない」では利益と目的の関係を、「キリモミ商法と頂上作戦」では特定市場での製品開発を扱っています。
本稿では、何を最初に目指したかにとどまらず、長い事業の途中で、目的をどのように持ち続けるかを中心に考えています。発言の出典は同じでも、問いと参照すべき事実は異なります。
出典と監査上の判断
出典状態:本人への取材記事で確認済み。① 『ベンチャー通信』第10号(2004年6月)鬼塚喜八郎インタビュー後半(志と使命についての問答)。② 同インタビュー前半(戦後の経験と青少年への関心)。③ アシックス公式沿革(1949年創業、製品展開、1977年の会社統合)。
旧記事では「強い目標を持てば成功する」という一般論を繰り返していましたが、今回、本人の回答の前後を踏まえ、志の役割と限界を説明しました。長期的な意思と、製品開発や健康などの実際の継続条件を分けています。
出典監査の方法については出典監査索引も参照してください。
