「人生のどんな隅にも、どんなつまらなそうな境遇にも、やっぱり望みはあるのだ。」という一節は、菊池寛の短編小説『出世』に登場します。著者が自分の半生から直接語った成功訓ではありません。図書館を久しぶりに訪れた主人公・譲吉が、かつて地下室で下足番をしていた老人と再会し、人生の見方を変える場面に置かれた言葉です。
原典は菊池寛の短編『出世』
原文は青空文庫掲載の菊池寛『出世』で確認できます。公開本文は『菊池寛 短編と戯曲』(文芸春秋、1988年)を底本としています。青空文庫本文は確認しましたが、本稿作成にあたり底本の紙面と直接校合したわけではありません。
物語の主人公・譲吉は、学生時代から図書館に通っていました。仕事も金もない時期には、その図書館が心の拠り所になっていた一方、館内の下足番を務める老人たちの暮らしを、暗く逃れがたいものだと見なしていました。自分は生活を変えられたのに、老人たちは同じ場所に取り残されるのではないか。そんな思いを抱えながら、久々に図書館へ足を運びます。
下足番だった老人は、別の窓口にいた
譲吉が受付で入場券を求めると、声をかけてきたのは、かつて地下室で下足番をしていたあの老人でした。今は切符を扱う仕事に移っていたのです。主人公は、わずかな昇給だったかもしれなくても、薄暗い地下室から出て窓口に座ることは、その人にとって大きな「出世」かもしれない、と考えます。
人生のどんな隅にも、どんなつまらなそうな境遇にも、やっぱり望みはあるのだ。
ここで重要なのは、出世を世間の肩書きや地位だけで測らなくなったという変化です。譲吉は、それまで老人の境遇を一方的に不幸と決めつけていました。しかし、身近な仕事の変化を目にして、自分が想像していなかった喜びもあり得ると気づきます。
「どんな境遇でも必ず幸せになれる」とは書かれていない
旧記事は、この一句を、困難を乗り越えて必ず未来を切り開けるという自己啓発的な教訓として扱っていました。しかし『出世』は、努力すれば誰もが社会的な成功を得られると証明する物語ではありません。老人自身の内心が詳しく語られるわけでもなく、譲吉の解釈が絶対に正しいと示されるわけでもありません。
さらに、もう一人の下足番の男性の行方は分からないままです。譲吉は、その人物もどこかで本人なりの「出世」をしていてほしいと願います。自分には見えなかった可能性を想像できるようになったところに、物語の余韻があります。
「望み」をどう読み取るか
この言葉から現代の読者が受け取れるのは、「どんな環境でも本人の努力不足を言い訳にしてはいけない」という圧力ではなく、他人の生活の価値を、自分の尺度だけで決めないという問いではないでしょうか。仕事や暮らしの変化は、小さく見えても、その人にとっては大きいかもしれません。
人の幸福を外から断定せず、知らなかった可能性に気づくこと。そうした慎ましい見方の変化を描く一節として読むと、この言葉は単純な「前向きになろう」という標語以上の奥行きを持ちます。
出典と確認範囲
出典状態:出典確認済み。菊池寛『出世』の終盤に、主人公・譲吉の心情に寄り添う地の文として確認できます。菊池寛の独立した人生訓や、老人自身の発言として扱うのは不正確です。
主要出典:菊池寛『出世』(青空文庫)。底本情報:『菊池寛 短編と戯曲』(文芸春秋、1988年)。確認範囲は青空文庫の公開本文です。
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