孤独な戦いを終わらせる「共闘」のメカニズム
マーケティングとは、単に製品を売り込む行為ではありません。それは、顧客を現状の苦しみから救い出し、理想の未来へと連れ出す「先導」のプロセスです。
ひとりマーケターとして日々奮闘するあなたにとって、リソースの不足は常について回る課題でしょう。大手企業のような物量作戦も、専任チームによるきめ細かなフォローも難しい中で、どうすれば顧客の心を動かせるのか。その答えは、顧客との関係性を「売り手と買い手」から「同志」へと昇華させることにあります。
人は、共通の目的を持った時、あるいは「共通の敵」を認識した時に、強烈な連帯感を抱きます。しかし、多くの企業はここで致命的な間違いを犯します。それは、競合他社を「敵」として設定してしまうことです。これでは顧客にとってただの「コップの中の争い」に過ぎず、共感は生まれません。
本稿では、競合ではなく「業界の悪しき習慣」や「顧客が抱える不条理」を共通の敵として設定し、顧客と共に戦う姿勢を示すことで、強固なブランドロイヤリティと連帯感を生み出す本質的なストーリーテリングについて解説します。これは小手先のテクニックではなく、マーケティング戦略の根幹を成す思考法です。
「競合」を敵に設定してはいけない構造的理由
競合他社を敵と見なし、機能や価格での優位性を主張することは、自らをコモディティ化(一般化)への道へと引きずり込む「敗者の戦略」です。
なぜ競合を敵にしてはいけないのでしょうか。その理由は明確です。顧客にとって、ベンダーAとベンダーBのどちらが勝つかはどうでもいいことだからです。顧客が関心を持っているのは「自分の課題が解決されるかどうか」だけです。
【よくある失敗パターン:スペック競争の泥沼】
多くのマーケターが陥るのが、「他社より機能が〇〇多い」「他社より〇〇円安い」という「Better(より良い)」を訴求する罠です。これを「敵=競合」の文脈で行うと、顧客は「機能比較表」を作る作業に没頭し、あなたの製品の思想や哲学には目を向けなくなります。結果として、より安価な競合が現れた瞬間、顧客は離反します。
構造的に見るならば、競合との比較は「既存の土俵」での戦いを意味します。ひとりマーケターが目指すべきは、土俵を変えることです。「A社かB社か」ではなく、「古いやり方か、新しいやり方か」という問いを立てることこそが、リソースの少ない我々が勝つための唯一の道筋です。
顧客が本当に憎んでいる「真の敵」を見つけ出すフレームワーク
顧客の心を動かすストーリーを描くためには、彼らが日々直面し、諦めかけている「不条理」や「業界の常識」を言語化し、それを倒すべき敵として定義する必要があります。
「真の敵」は、具体的な企業名ではありません。それは目に見えない概念や、習慣の中に潜んでいます。以下の視点(フレームワーク)を用いて、あなたの業界における敵を定義してください。
1. 業界の悪しき習慣(Industry Dogma)
• 例:「不透明な料金体系」「導入に半年かかるのが当たり前」「一度契約すると解約できない縛り」
• 問い:顧客が「仕方がない」と諦めている業界の常識は何か?
2. 顧客の抱える不条理(Customer’s Pain)
• 例:「無意味な承認フローによる時間の浪費」「データのサイロ化による二度手間」「セキュリティリスクへの漠然とした恐怖」
• 問い:顧客が本来の業務に集中することを阻害している「ノイズ」の正体は何か?
3. 時代の変化に対する抵抗(Status Quo)
• 例:「紙とハンコへの固執」「AI活用への根拠なき忌避感」
• 問い:顧客の進化を止めている古いマインドセットは何か?
このように敵を定義すると、あなたの製品は単なるツールではなく、その敵を倒すための「武器」あるいは「魔法」へと意味を変えます。顧客は「購入者」から、その武器を使って不条理と戦う「主人公(ヒーロー)」になるのです。
ストーリーテリングの実装:共感を「熱狂」に変えるプロセス
定義した「敵」を倒す物語において、主人公はあくまで顧客であり、あなたは彼らを導き、武器を授ける「メンター(賢者)」の役割を担わなければなりません。
ストーリーテリングをマーケティング施策に落とし込む際は、「Why(なぜ戦うのか)」の共有から始めます。以下のステップでメッセージを構築します。
1. 現状の肯定と共感(Empathy)
• 「〇〇という業務、本当に大変ですよね。本来クリエイティブであるべき時間が、事務作業に奪われていることに、私たちは憤りを感じています」と、顧客の痛みに寄り添います。
2. 敵の正体の暴露(Reveal the Enemy)
• 「その原因は、あなたの能力不足ではありません。この業界に蔓延する『〇〇という古い商習慣』こそが、あなたの時間を奪う真犯人なのです」と、敵を名指しします。ここで顧客は「自分のせいではなかった」と救済され、あなたへの信頼を強めます。
3. 解決策の提示と呼びかけ(Call to Adventure)
• 「私たちは、この不条理を終わらせるために存在します。この新しいプラットフォームを使えば、あの無駄な時間から解放されます。一緒に、本来あるべき働き方を取り戻しませんか?」
【教訓:自分語りの罠】
ここで注意すべきは、自社がいかに苦労して製品を作ったかという「開発秘話」を延々と語ることです。それはあなたの物語であり、顧客の物語ではありません。常に主語は「顧客」または「私たち(顧客と企業の連合軍)」であるべきです。
現代のマーケティング環境における「敵」との戦い方
普遍的なストーリーテリングの原理を、現代のテクノロジー(AI、MA、コンテンツマーケティング)といかに融合させるかが、ひとりマーケターの腕の見せ所です。
現代において、テクノロジーは「武器の性能」そのものであり、同時に「武器を届けるロジスティクス」でもあります。
• AIを活用した「敵」の解像度向上
• SNSのソーシャルリスニングや、営業録音データのAI解析を通じて、顧客が吐露している「愚痴」や「嘆き」を収集してください。そこに「真の敵」のヒントがあります。AIはキャッチコピーを作るためだけでなく、顧客のインサイト(敵の正体)を深掘りするために使いましょう。
• コンテンツによる啓蒙戦
• オウンドメディアやホワイトペーパーでは、機能説明ではなく「敵の恐ろしさ」と「敵の倒し方」を発信します。例えば「なぜ従来の〇〇管理は失敗するのか?」というテーマ設定は、機能説明よりも遥かに強く、課題意識を持つ層を惹きつけます。
• 自動化による適切なタイミングでの「武器」提供
• MA(マーケティングオートメーション)を用いて、顧客が「敵」に直面して困っているタイミング(例:特定の課題ページを閲覧している時)に、解決策を提示します。これは単なる追客ではなく、戦場での援護射撃です。
テクノロジーはあくまで手段です。しかし、「敵と戦うための哲学」が乗っていないテクノロジーの活用は、単なるスパムに成り下がります。
プロフェッショナルの視座:短期的な売上と長期的なブランドの統合
「敵」を設定するマーケティングは強力ですが、それゆえに高い倫理観と一貫性が求められます。自ら掲げた正義に背く行為は、ブランドを即座に崩壊させます。
もっとも重要な心構えは、「言行一致」です。
例えば、「業界の複雑な料金体系」を敵として設定し、「シンプルさ」を掲げているにもかかわらず、自社の見積もりが複雑怪奇であれば、顧客はあなたを「裏切り者」と見なすでしょう。また、「顧客を縛る契約期間」を批判しておきながら、自社の解約フローが面倒であれば、それは偽善です。
【失敗しないための要諦】
• 敵の設定は、自社の強みと完全にリンクしていること:倒せない敵を宣言してはいけません。
• 社内全体で敵を共有すること:マーケティングだけでなく、営業やカスタマーサクセスも「何と戦っているのか」を理解していなければ、顧客体験にズレが生じます。
短期的には、競合の機能に追随したくなる誘惑があるかもしれません。しかし、プロフェッショナルであるあなたは、そこで踏みとどまる必要があります。「我々は何を解決するために存在するのか」という原点に立ち返り、設定した「敵」との戦いを貫く姿勢こそが、長期的なブランド価値(Trust)を築きます。
まとめ:マーケターとは、新しい世界を提示する「革命家」である
本記事では、競合他社ではなく、「不条理」や「悪しき習慣」を敵に設定することの重要性と、その実践方法について解説してきました。
ひとりマーケターとしての孤独やリソースの制約は、むしろ「研ぎ澄まされたメッセージ」を生み出すための制約条件となり得ます。八方美人に全ての機能をアピールする余裕がないからこそ、たった一つの「倒すべき敵」を定め、一点突破で共感を得ることができるのです。
あなたが売っているのは、ITツールやサービスかもしれませんが、顧客が買っているのは「そのツールによってもたらされる、不条理から解放された未来」です。
明日からの業務において、自問してください。「私たちの顧客は、今夜何に悩み、何に腹を立てて眠りにつくのだろうか?」と。その痛みの源泉を見つけ出し、指をさして「あれが敵だ、一緒に倒そう」と声を上げること。それこそが、マーケターという仕事の真価であり、誇り高きミッションなのです。