はじめに|「仲良くしましょう」だけでは解決しない問題
人と人が争うとき、原因は単に互いを嫌っていることだけではありません。自分の利益を守るために他人を犠牲にしても構わないと考えたり、自分の組織の都合だけを優先したりすることもあるでしょう。古代中国の思想書『墨子』は、そんな対立のあり方に「兼相愛、交相利」という二つの言葉を向けています。
「兼ねて相愛し、交ごも相利す」と読まれるこの句は、誰にでも優しくしようという標語に見えるかもしれません。しかし原典では、国家が国家を攻め、強い者が弱い者を押さえつける現実を問題にしています。感情としての好意だけでなく、社会の害を減らす方法を問うところに、この思想の特徴があります。
互いを大切にすることと、互いの利益を考えることは、どのようにつながるのでしょうか。善意を掲げながら他者に負担を押しつけてしまう場面はないでしょうか。『墨子』の「兼愛中」を原文から読み、個人の気持ちと社会の仕組みを区別しながら考えていきます。
出典|『墨子』「兼愛中」の原文と前後の議論
句を含む原文は、「子墨子言曰:以兼相愛交相利之法易之。」です。直前では天下の害が人々の不相愛から生じると述べ、その害を何によって改めるかと問い、この方法を提案しています。日本語にすれば「墨子は、互いを広く愛し、互いに利する方法で改めるべきだと言った」といった意味です。これは記事のための私訳です。
出典は『墨子』巻四「兼愛中」です。ウィキソース『墨子/兼愛中』と中国哲学書電子化計画『墨子』「兼愛中」に、当該句と続く説明を確認できます。作品・篇・原文の所在が明らかであることが、出典確認済みとする根拠です。
「兼愛上」「兼愛中」「兼愛下」と関連する篇が伝わりますが、この記事で扱う「兼相愛交相利之法易之」という形は「兼愛中」の文脈です。似た表現が複数の篇に見られるからこそ、短い標語だけでなく、どの篇のどの議論かを示しておく必要があります。
なぜ「兼愛」が必要なのか|自分の側だけを守る社会
原典は「国と国とが攻め合い、家と家とが奪い合い、人と人とが傷つけ合う」という問題から始まります。諸侯が自国だけを愛して他国を顧みないとき、他国への攻撃をためらわなくなる。自分の側だけを特別扱いする判断が、他者への害につながるという指摘です。
ここでいう「家」は、現代の家庭生活だけを指すとは限りません。古代の政治的な家・一族の勢力関係も視野に入っています。同じ語を現代の言葉にそのまま重ねると、問題の規模を見誤ります。個人間の道徳と、権力を持つ集団の対立の両方が論じられているのです。
墨子の批判は「自分を大切にするな」というものではありません。自分たちだけが守られればよいという態度を、他者にも及ぶ被害という観点から検討します。自分の利益を求めることと、他者を犠牲にしてよいことは同じではない。この線引きが議論の出発点になります。
「人の国をその国のごとく見る」|視点を入れ替える試み
方法を説明するとき、原典は「視人之國若視其國,視人之家若視其家,視人之身若視其身」と続きます。他人の国を自分の国のように、他人の家を自分の家のように、他人の身を自分の身のように見る、という考え方です。
これは単に相手をかわいそうだと思うことではありません。自分の側だけを基準にした判断を、相手の側へ置き換えてみる試みです。国を率いる者が隣国の被害を自国の被害と同じ重さで考えたら、攻撃の正当化は難しくなるでしょう。見る立場を入れ替えることで、行動の基準そのものを問い直すのです。
もちろん、古代の戦争や政治の条件と、現在の社会制度は異なります。この句だけで現代の外交問題の答えが自動的に決まるわけではありません。それでも、自分が得る利益だけでなく、相手に生じる損失を判断に含めるという考え方は、検討に値します。
「交相利」|愛情の話に利益が続く理由
「利」という字が続くことに、少し意外な印象を受けるかもしれません。愛することは損得を超える行為なのに、なぜ利益が必要なのか。しかし『墨子』では、天下の害をなくし、実際に人々の暮らしをよくすることが重視されています。よい気持ちを持つだけでなく、他者にとっての害を減らし利をもたらすという方向です。
原典は、互いに愛し合えば強者が弱者を抑圧せず、多数が少数を脅かさず、富む者が貧しい者を侮らなくなると述べます。ここで考えられている利益は、目先の取引で得をすることだけではありません。人々が不当な被害を受けずに暮らせる状態も含まれています。
ただし「私があなたを助けたのだから、必ず同額を返してほしい」という取引の公式に縮めるべきではありません。『墨子』は、相互に愛し利することが社会の害を減らす道だと説きます。互恵性を語ることと、個々の親切をすべて損得勘定に変えることは区別したいものです。
理想は実行できるのか|原典が予想した反論
「互いに愛し合うのがよいとしても、そんなことは難しくて実現できない」。『墨子』「兼愛中」には、まさにこうした反論が登場します。美しい理想だけで話を終わらせず、実行可能性に対する疑問を自ら取り上げている点が興味深いところです。
墨子は、戦争や名誉のために命を危険にさらすような困難な行動でさえ、統治者が好めば人々は行うことがある、と論じます。それなら互いを愛し利することも、統治する側が政策として重んじ、人々が行動に移せば実現不可能ではないというわけです。個人の気合いだけでなく、上に立つ者の判断や制度の働きが見据えられています。
ただし、この議論をそのまま現代の政策の有効性の証明にすることはできません。統治者の影響力を強調する発想には、現代の自由や権利の観点から検討すべきところもあります。理想の魅力と、それを実行する仕組みの妥当性を別々に評価することが必要でしょう。
現代で考える|組織・仕事・日常のすれ違い
複数の部署が協力する仕事で、各部署が自分の数字だけを追えば、会社全体では損失が生まれることがあります。営業部門の目標だけを優先した結果、顧客への約束を実現する部門が疲弊するかもしれません。これは古典の直接の説明ではありませんが、相手側の損失を無視しない仕組みを考えるきっかけになります。
家庭や友人関係でも、親切のつもりが相手の負担になっていることがあります。自分が望むことをそのまま相手に当てはめるのではなく、相手が実際に何を必要としているかを聞く。相手の立場を想像することと、相手の意思を確かめることを組み合わせるほうが、独りよがりを防ぎやすいでしょう。
さらに、他者の利益を考えるときには、自分自身の暮らしや安全を無限に犠牲にする必要もありません。「互いに」という言葉には、片方だけが消耗する関係ではないという含みがあります。双方の尊厳と現実的な条件をどう守るかを考えることが、現代の応用には欠かせません。
まとめ|社会の利益から「愛」を見直す
『墨子』「兼愛中」の「兼相愛、交相利」は、漠然と仲良くすることを勧めるだけの言葉ではありません。国同士の戦い、家同士の争い、強者による弱者への害を問題にし、自分の側だけを大切にする判断を改めるために示された方法です。
そこでは他者を自分の側と同じように見ること、互いに利をもたらすこと、そして行動や政治の仕組みへ結びつけることが語られています。好意を掲げるだけで、他者の被害を放置しないという姿勢は、単なる道徳の標語より具体的です。
誰かと利害がぶつかったとき、相手の利益を無視していないか、自分の利益だけを絶対視していないかと問うてみる。それですべての対立が解決するわけではありません。それでも、自分から見える世界を少しだけ他者の側へ広げることに、この古典の読みどころがあります。
出典・原文の確認範囲と関連する読み物
原典は『墨子』「兼愛中」(ウィキソース)、および中国哲学書電子化計画「兼愛中」で確認しました。「以兼相愛交相利之法易之」と、続く「視人之國若視其國」の文脈まで確認できるため、出典確認済みの判定とします。
『墨子』の諸版には字句や本文順序に異同があるため、孫詒讓『墨子閒詁』「兼愛中」も参照し、注釈に見える本文の移動や補訂の説明と区別しています。出典確認済みは、特定の歴史的人物が口頭で逐語的に発言したという証明ではありません。作品内の記述を特定した判定です。
現代の仕事や人間関係に関する例は、原典をもとにした編集上の応用です。思想を比較して読む入口としては、作品から思想をたどる、知るとは何かもあります。他の思想との共通点を考える際にも、違いを消してしまわないことを大切にしたいものです。