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『舌切りすずめ』のあらすじと結末|軽いつづら・重いつづらの中身と昔話の異版

はじめに――軽いつづらと重いつづら、なぜ結末が違うのか

「舌切りすずめ」は、雀をかわいがるおじいさんと、雀を傷つけてしまうおばあさんが出てくる日本の昔話です。軽いつづらに宝物、重いつづらに恐ろしいものが入っている結末を覚えている人も多いでしょう。けれども、つづらの大きさだけでなく、贈り物を受け取るまでの態度が対比されていることが重要です。

昔話には地域や語り手による異なる形があります。そのため「日本のどこでも、必ず同じ人物が雀を傷つける」と決めつけることはできません。特定の版のあらすじと、昔話全体の伝承を区別する必要があります。

この記事では、青空文庫で全文を読める楠山正雄『舌切りすずめ』を基準に、冒頭から結末までたどります。秋田県立博物館の民話資料も照らし合わせ、昔話の面白さが「唯一の正解」ではなく語りの違いにもあることを確かめます。

今回の本文――楠山正雄『舌切りすずめ』という再話

今回読んだのは、青空文庫掲載・楠山正雄『舌切りすずめ』全文です。図書カードで作品番号18378と著者を確認できます。本文末尾に記された底本は講談社学術文庫『日本の神話と十大昔話』(1983年)です。実際に確認した文章の版を明らかにできる資料です。

楠山正雄は、この再話本文の著者として表示されています。しかし、昔話そのものを最初に作った唯一の人物という意味ではありません。地域の口承や別の再話で、人の役割や箱の中身が異なる可能性があります。再話者と伝承全体の創始者を混同しません。

また原文を検証したからといって、現代の絵本の挿絵や本文を自由に転載できるわけではありません。本記事は自分の文章であらすじを整理し、原文の長文転載を避けます。文字の出典確認と画像・現代編集物の権利は別々に扱います。

冒頭のあらすじ――洗濯のりを食べた雀

楠山版では、子どものいないおじいさんとおばあさんが暮らしています。おじいさんは一羽の小さな雀を大切に飼い、かわいがっています。雀は最初から贈り物をくれる不思議な存在として登場するのではありません。

ある日、おじいさんが山へ出かけている間に、雀は台所にあった洗濯用ののりを食べてしまいます。それを知ったおばあさんは激怒し、雀の舌を傷つけ、追い出します。ここで描かれるのは、小さな失敗に対して、釣り合わないほど厳しい仕打ちが行われる場面です。

家へ戻ったおじいさんは雀がいないことに気づき、事情を知って深く悲しみます。単に失った財産を探すのではなく、傷ついた雀が無事かどうかが心配なのです。雀を一つの命として大切にしていた気持ちが、次の行動を動かします。

おじいさんが雀のお宿で見つけたもの

翌朝、おじいさんは雀を探しに出かけます。野や山を越えて呼びかけながら進むと、竹やぶのあたりで返事が聞こえてきます。そこには雀の暮らす家があり、雀自身がおじいさんを迎え入れます。この旅の目的は最初から宝をもらうことではありません。

雀はのりを勝手に食べたことを詫び、おじいさんも雀の身に起きたことを申し訳なく思っています。すずめたちはごちそうを用意して踊りを披露し、おじいさんをもてなします。互いに相手を思いやる会話が、贈り物より先に描かれている点に注目したいところです。

帰り際、雀は軽いつづらと重いつづらのどちらかを選ぶよう勧めます。おじいさんは、年を取って道のりも遠いからという理由で軽い方を受け取ります。宝を多く取ろうとして軽い方を選んだわけではないという順序が重要です。

軽いつづらの中身――最初の贈り物の意味

おじいさんが家へ帰ると、つづらの中には金銀や珊瑚、宝珠などの宝物が入っていました。持ち帰るまで中身を知らなかったので、思いがけない贈り物に驚きます。軽いつづらを選ぶことと、宝が入っていると知っていたことは別です。

おばあさんは喜んだあと、なぜもっと重いつづらを持って帰らなかったのかと不満を口にします。重い方には、もっと多くの宝が入っていたに違いないと考えたからです。贈り物への感謝より、手に入らなかったかもしれない利益を先に想像してしまうのです。

おじいさんはすでに十分なものをもらったと思っていますが、おばあさんは納得せず、すぐ雀のお宿へ向かいます。同じ宝物を見ても、満ち足りる人と不足を感じる人とでは次の行動が変わるという対比が始まります。

重いつづらの結末――おばあさんはどうなったのか

楠山版では、おばあさんが夜の道を進んで雀の家を訪ねます。雀は彼女も迎え入れますが、おばあさんはもてなしに目もくれず、早く土産を渡すように要求します。おじいさんの旅と同じ場所に着いても、相手への向き合い方は正反対です。

おばあさんは迷わず重いつづらを選んで持ち帰ろうとします。道の途中で中身が気になり、ついに開けてしまいます。そこから出てくるのは宝物ではなく、一つ目や三つ目の小僧、がま入道などのお化けです。この版の結末は「重いつづらからお化けが出る」という形です。

おばあさんは恐れて家に逃げ帰りますが、楠山版でその場で命を落とすとは書かれていません。おじいさんは無事に帰ったことを受け止め、無慈悲な行いと欲張りすぎることを戒めます。昔話の怖い場面を必要以上に強めたり、本文にない結末を加えたりしません。

異版を比較する――誰が雀を傷つけたのかも変わる

同じ「舌切り雀」でも、各地の語りが完全に一致するわけではありません。秋田県立博物館の口承文芸検索システムには、能代市に伝わる昔話のあらすじが登録されています。この例でもおじいさんが雀をかわいがり、おばあさんが傷つけますが、つづらから出てくるものや途中の出来事には違いがあります。

さらに同博物館所蔵の別の秋田の口承記録では、雀をかわいがるのがおばあさんで、傷つけるのがおじいさんという役割の違いが見られます。性別や立場だけで善悪の役割が固定される物語ではないことが分かります。

ただし、こうした記録の存在から、どの版が最も古く、どちらが元の形だったかは決められません。確認できるのは、それぞれの採録資料にそういう筋があるということです。「異なる伝承がある」と「物語の起源を確定した」は区別する必要があります。

教訓――欲張りの失敗より、雀への向き合い方を読む

物語の分かりやすい教訓は「欲張りすぎてはいけない」というものでしょう。けれども、そこに至るまでの出来事を見れば、雀の小さな失敗に対して厳しすぎる仕打ちをしたことも見逃せません。欲張りと無慈悲さが、別々の問題として描かれているのです。

おじいさんがつづらを受け取る前に描かれるのは、心配して雀を探し、無事を喜んだ時間です。おばあさんは最初から宝を求めて向かいます。同じ道を歩いても、何のために相手を訪ねるかで物語の意味は変わります。報酬だけを目的にする関わり方への問いとしても読めます。

同じく善意と贈り物を扱う作品として、『笠地蔵』のあらすじと伝承や、『花咲かじいさん』のあらすじと結末を読み比べられます。善行が必ず金銭的な利益を生むという法則としてではなく、人物の関わり方を比べる読書導線です。

まとめ――つづらの重さより、そこへ至る行動を見る

楠山正雄版『舌切りすずめ』では、雀を大切にしたおじいさんが心配して探しに行き、もてなしと軽いつづらを受け取ります。一方、おばあさんは多くの宝を期待して重いつづらを選び、中から出てきたお化けに驚いて帰宅します。二つの結末は贈り物を手に入れる動機の違いを浮かび上がらせます。

今回直接確認した資料は、青空文庫の楠山正雄版本文、作品の図書カード、秋田県立博物館の民話記録です。楠山版の具体的な文章と、他の口承伝承の要約を混同せず参照しました。

軽いつづらが本当に軽い価値しか持たないとは限らず、重いつづらが幸運を保証するわけでもありません。大きさを比べる前に、誰と何のために関わるのかを考える。古い昔話は、その問いを今の読者にも残してくれます。

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