はじめに――Webは最初から世界中の買い物やSNSのために作られたのか
毎日当たり前のように使うWebは、世界中の人が商品を買い、動画を見るために突然生まれたわけではありません。1989年、欧州原子核研究機構CERNで働いていたティム・バーナーズ=リーは、複雑な研究組織で散らばる情報を、必要な人が見つけられるようにする仕組みを提案しました。
その文章の題名は『Information Management: A Proposal』です。本人が公開した提案書のHTML化全文と、CERNの原資料所蔵記録に戻ることができます。技術の完成後に語られた伝説ではなく、開発前に何を問題と考えていたかを直接読める貴重な資料です。
現在のWebを形作る技術は、この一文書だけで完成したわけではありません。1989年の構想が1990年に実装され、利用者や開発者の協力を得て広まっていきました。提案が書かれた年と、実際のソフトウェアが動いた年を分けて理解する必要があります。
CERNで起きていた「情報があるのに見つからない」問題
CERNでは多数の研究者や技術者が、加速器や実験装置に関わる作業を進めていました。人が異動すると、ある装置の説明がどの文書にあるのか、誰に相談すればよいのか分からなくなることがありました。記録が失われる場合だけでなく、記録は存在するのに発見できないことも問題だったのです。
バーナーズ=リーは提案書で、組織の人間関係と技術の依存関係が複雑に結び付いていることに注目しています。一つの部署の資料を上から順番に分類するだけでは、別の部署との関係が見えにくくなります。現実の仕事は、一つのきれいな分類表より複雑なつながりを持つという観察です。
たとえば新しく来た人が、古い装置を変更しようとした場合、関係する別の機器や人を調べなければなりません。情報が部署ごとに閉じていれば、確認だけで多くの時間を使うことになります。必要なときに必要な文書へたどり着けることが、研究を続けるための基盤でした。
提案の中心は、文書をリンクで結び付ける仕組み
提案書では、文書や人、装置、概念を一つのノードとして表し、それらの関係をリンクで結ぶ考え方が示されています。情報を一か所に押し込めるのではなく、関連するもの同士をつなぐことが重要でした。
情報を階層だけで整理すると、Aという資料からBという資料を見たいとき、いったん別の階層へ戻って探し直す必要があります。リンクがあれば、必要な場所から直接移動できます。読む人の疑問に合わせて、資料を横断する道を作るという発想です。
これは単なる見た目の工夫ではありません。研究の担当者や設備の関係が変わるなら、情報のつながりも更新できる必要があります。完成された目次だけでなく、組織とともに変化できる情報の仕組みを作ることが提案の目的でした。
1989年の提案と1990年の実装は違う
W3Cに残るWeb史の年表によると、バーナーズ=リーは1989年3月に提案書をまとめ、1990年にも内容を改めて検討しました。最初の文書には、当時まだWorld Wide Webという完成後の名前が付いていません。名付ける前から、情報を結ぶ問題意識があったことが分かります。
1990年になると、NeXTコンピューター上で、文書を読むだけでなく編集できる初期のWorldWideWebアプリケーションが開発されました。ロバート・カイリューをはじめとする協力者の仕事も重要でした。発明者として一人の名前が知られていても、実際の普及は複数の人の仕事によるものです。
1989年には、現在私たちが使うSNSや検索サービスまで提案書に具体的に書かれていたわけではありません。後の技術と利用者の創意工夫でWebの用途は広がりました。未来のサービスをすべて予見していたという成功物語に変える必要はないのです。
Webとインターネットを混同しない
Webという仕組みが生まれる前から、コンピューター同士を通信網でつなぐインターネットの技術は発展していました。Webは、その通信網の上で情報を公開し、リンクをたどれるようにするサービスの一つです。バーナーズ=リーがインターネットという通信網を一人で発明したという説明は不正確です。
Webの普及によって、専門的な文書だけでなく、個人の文章、ニュース、教育資料などもリンクでつながるようになりました。一方、情報が広く公開されれば、誤情報や古い記録に出会う可能性も増えます。見つけやすさが増すことと、内容が必ず正しいことは別です。
当サイトのコンピューターの「バグ」の歴史も、便利な技術がどのような実務や試行錯誤から発展したかを扱っています。Webとコンピューターの歴史には違いがありますが、日常的な技術の裏側にある具体的な課題を知るという点でつながります。
1993年の公開方針と、2019年の発言につながるもの
W3Cの歴史年表には、1993年4月30日、CERNがWeb技術を誰でも利用できるようにする方針を示したことが記録されています。技術の普及にとって、特定の組織だけが使う仕組みにしなかったことも大きな意味を持ちました。
ただし、無料で利用できることと、開発や運用の費用がまったくかからないことは同じではありません。サーバーの運営やソフトウェアの保守には人と資源が必要です。技術の利用条件を開くことと、その仕組みを維持する仕事は別として理解したいところです。
バーナーズ=リーはWebの誕生30周年に当たる2019年にも、その将来のあり方について問題提起しました。当サイトの2019年寄稿に関する記事と読み比べると、研究所で情報を見つけやすくするという出発点から、社会全体のWebをどう守るかという課題へ広がったことが見えてきます。
まとめ――つながる情報は、探しやすい情報になる
1989年の『Information Management: A Proposal』は、CERNで必要な情報が見つからなくなる問題を解決するための提案でした。文書と文書、人と装置などをリンクでつなぎ、複雑な情報の関係をたどれるようにする発想が中心にあります。
その後1990年にソフトウェアの開発が進み、1993年には公開利用の方針が示されました。一つの現場の小さくない困りごとに向き合い、他の人も使える仕組みへ育てることが、技術の歴史から受け取れる教訓です。
主要出典:ティム・バーナーズ=リー本人による1989年提案書のHTML公開版、CERN所蔵「Information Management: A Proposal」原資料目録、W3Cの1995年公開Web史年表。HTML版は原文を著者自身が変換した記録であり、現在の技術のすべてを1989年の提案に帰するものではありません。