はじめに|悪魔の髪を三本持ち帰るのは誰?
グリム童話『悪魔の三本の金の髪』は、王から不可能に近い課題を出された若者が、悪魔の住む場所へ向かう物語である。名前だけ聞けば、金色の髪を奪う勇敢な英雄の話に思える。ところが、原文を読むと主人公を助ける老女の知恵と、道中で集める三つの答えが大きな役割を果たしている。
この作品には、思いのほか大きな版の違いがある。1812年のグリム初版では木こりと王女が恋に落ちるところから始まる。一方、広く知られる1857年第7版では「王女と結婚する」と予言された貧しい家の子どもが主人公だ。同じKHM第29話でも、序盤の人物設定が大きく書き換えられている。
本記事は『Kinder- und Haus-Märchen』第29話の1812年初版と1857年第7版を、それぞれのドイツ語本文で確認した。二つの版を混ぜて一つの「あらすじ」にせず、1857年版の展開をまず説明し、その後で初版の相違点を整理する。
1857年版の始まり|「王女と結婚する」と予言された子ども
ある貧しい女性が男の子を産んだ。子どもには幸運を示す特徴があり、十四歳になったとき王女と結婚するだろうと予言される。これを聞いた王は、自分の家族に貧しい子が加わることを嫌がり、育ててやると偽って子どもを引き取った。大人の権力によって、子どもの将来を奪おうとする場面から話が動く。
王は箱に子どもを入れて川へ流すが、箱は沈まず、水車小屋の人々が子どもを助けて育てる。十四年後、王はその少年を見つけ、王妃に届ける手紙を持たせる。実は手紙には少年を殺すよう書かれていた。王は予言を避けるために、再び危険な手段を選ぶ。
少年は道に迷って盗賊の家へ入り、そこで眠り込んでしまう。手紙を読んだ盗賊たちは少年を気の毒に思い、内容を書き換える。王妃へ届いた手紙には、少年を王女と結婚させるよう記されていた。こうして予言の通り婚礼が行われる。自分を守ろうとした王の行動が、皮肉にも望まない結果へつながる。
悪魔の三本の金の髪を求める旅
王は戻ってくると婚礼に怒り、若者が王女と暮らし続ける条件として、地獄から悪魔の金の髪を三本持ち帰るよう要求する。到底成功できないと思っての命令だった。若者はそれを引き受け、旅に出る。無理難題は、王の恐れや強欲から生まれたものであり、若者が何か悪事を働いたからではない。
旅の途中には、酒の出なくなった泉、金のリンゴが実らなくなった木、交代できずに渡し舟を動かし続ける船頭が現れる。若者はそれぞれの問題の答えを求められ、帰りに教えると約束した。悪魔の髪を得るという目標のほかに、三つの謎を解く目的が旅に加わる。
地獄へ着くと、悪魔は留守で、年老いた女性が若者を迎える。1857年版ではこの人物が悪魔の祖母にあたる存在として描かれている。彼女は若者をアリの姿に変え、服のひだに隠す。危険な場所で真正面から戦うのではなく、助けを受けて機会を待つ構図となる。
祖母が聞き出した三つの答えと結末
悪魔が戻って眠ると、老女は金の髪を一本ずつ抜き取り、そのたびに「悪い夢を見た」と説明する。夢の話に見せかけて泉や木、渡し舟の問題を尋ねると、悪魔は答えを口にする。三本の金の髪と三つの謎の答えが、同じ場面で一度に得られる仕組みが巧みだ。
泉の水が止まったのは井戸の石の下にヒキガエルがいるからであり、金のリンゴの木が衰えたのは根をネズミがかじっているからだ。船頭は、渡る人へ舟を動かす棒を渡せば役目を交代できる。若者は帰り道に答えを伝え、町の人々から金を受け取る。具体的な問題には、具体的な原因と解決方法があるように描かれる。
若者は髪を王に示し、王女と暮らすことを認められる。王は若者が持ち帰った金に目を奪われ、その金を自分も得たいと渡し場へ向かう。だが船頭から棒を渡され、今度は王が船を動かし続けることになる。結末は単純な力比べではなく、強欲な王が自ら罠に入る皮肉で締めくくられる。
1812年初版は、木こりと王女の恋から始まる
初版の題名は『Von dem Teufel mit drei goldenen Haaren』で、1857年版とは冠詞などの表記も少し違う。序盤では、王女が王宮の窓から木こりを見て恋をし、木こりも王女を好きになる。王は二人の結婚を阻むため、悪魔の金の髪を三本持ち帰ることを条件にした。幸運な子どもの予言も、殺害命令の手紙を書き換える事件も、この初版の冒頭にはない。
初版でも木こりは道中で人々の困りごとを聞き、悪魔のいる場所へ向かう。ただし困りごとの内容は1857年版とは同じではない。病気の王女、枯れた井戸、実を結ばないイチジクの木、交代できない渡し守などが現れる。後の版の「酒の泉」と「黄金のリンゴの木」だけで初版まで説明するのは誤りだ。
さらに初版では、悪魔を眠らせて金の髪を手に入れるのを助けるのは悪魔の妻で、若者はベッドの下に隠される。1857年版では老女が若者をアリに変え、服のひだへ隠す。主人公を守る人物の関係と、隠す方法まで変わったことが原文から確認できる。
二つの版で結末が変わる理由を考える
初版の木こりは帰路で問題を解決し、兵士の部隊や金を褒美として手に入れる。その力と財産を王に示して、王女との結婚を認めさせる。1857年版の王はすでに婚礼が済んでいることに怒り、後から髪を要求する。初版は身分の違いを越える話として、後の版は予言から逃れようとする王の失敗として読める。
1857年版では、渡し守に代わって王が舟を動かす最後の罰まで描かれる。初版の結末では、木こりが王女を妻として迎え、二人の幸せで物語が終わる。どちらも「三本の髪」を持ち帰る話だが、強調される問題と最終場面は同じではない。
グリム童話には、複数の版で人物や条件が変わった作品が少なくない。当サイトの『十二人の兄弟』でも、沈黙の年数に版差がある。「グリムの原作では」と言う際に、版を明記することは、読み手の混乱を減らす。
まとめ|三本の髪が示すのは、勇気だけではない
グリム童話『悪魔の三本の金の髪』は、困難な課題を与えられた若者が、老女の助けによって三本の金の髪と三つの答えを得る物語だ。1857年版では予言された子どもが主人公で、最後は強欲な王が渡し守の仕事を引き継ぐ。助け合い、情報を集めること、強欲の皮肉が連なる構成になっている。
1812年初版は木こりと王女の恋が出発点で、悪魔の妻が助け、結婚を認めさせて終わる。だから、現代に伝わるあらすじをすべての版にそのまま当てはめることはできない。題名と大筋が同じでも、どのように始まり、どう終わるかが大きく異なるのである。
主要出典:グリム兄弟『Kinder- und Haus-Märchen』第29話、1812年初版『Von dem Teufel mit drei goldenen Haaren』122〜130ページおよび1857年第7版『Der Teufel mit den drei goldenen Haaren』152〜159ページ。それぞれドイツ語の原文と版本情報、紙面画像への参照を確認した。グリム兄弟の原著は保護期間満了だが、現代日本語訳・再話・挿絵の権利は別なので転載せず、独自に要約・解説した。