はじめに|同じ「親指小僧」でも、別の物語
「親指小僧」と聞くと、小さな男の子が兄弟と森へ行き、知恵を使って鬼から逃れる話を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、それはシャルル・ペローの『Le Petit Poucet』に近い筋である。グリム童話には、同じように小さな少年が主人公の『Daumesdick』がある。主人公の小ささは共通しても、家族の構成も冒険も結末も違う。
グリム版で主人公は、両親から望まれて生まれた親指ほどの小さな少年だ。馬の耳に入って荷車を運転し、盗賊をからかい、牛とオオカミに飲み込まれたあと家へ戻る。体の小ささを不利な条件として嘆くより、その特徴を使って切り抜けていく筋立てが印象的である。
ここではグリム兄弟『子どもと家庭の童話』1857年第7版・第37話(KHM37)のドイツ語原文を中心に読み、1697年刊のペロー『親指小僧』と比較する。題名や翻訳名が似ているからといって、二つを同一作品の異版として混ぜないことが重要だ。
グリム版の始まり|親指ほどの子どもを望んだ両親
子どもがいないことを寂しがっていた農夫と妻は、親指ほどの小さな子でもよいから、わが子を迎えたいと願う。やがて生まれた男の子は本当に親指ほどの背丈だった。両親は願った通りだと喜び、Daumesdickと名付ける。身体の小ささを理由に家族が愛情を失うわけではない。
少年は成長しても体の大きさは変わらなかったが、機転が利き、器用な子だった。ある日、父親が森へ薪を取りに行き、荷車をあとから届けてほしいと願う。少年は馬の耳の中へ入り、声で馬を動かす方法を思いつく。大きな体を持たなくても、状況に合う方法を考えれば仕事を果たせるのだ。
荷車を見た二人の男は、不思議な声がするのに御者が見えないことを怪しむ。彼らは親指小僧の姿を見て、町で見せ物にすれば金になると考えた。父親は息子を売りたくないが、少年自身が帰るつもりで取引を受け入れる。この場面は昔話の設定であり、現実の子どもの売買を正当化するものではない。
男たちから逃げ出し、泥棒を出し抜く
二人の男に連れられた少年は、道中で降ろしてほしいと頼み、畑のネズミの穴へ逃げ込む。男たちは小さな少年を捕まえられず、金を失って引き返す。少年は空のカタツムリの殻で夜を過ごすことにする。力ではなく、自分にしか使えない隠れ場所を知っていることが逃走の助けになる。
やがて、金持ちの家から盗みを働こうとする二人の盗賊が通りかかる。少年は小さな体なら家の中へ入れると持ちかけ、彼らと同行する。しかし家に入ると、何を持ち出せばよいか大きな声で繰り返し尋ね、住人が気づくように仕向ける。盗賊を助けるふりをして、反対に計画を台無しにしたのである。
この話には、少年の道徳的な善良さだけを示す場面よりも、相手の予想を裏切る機知が多い。相手が自分を小さく見積もることを、かえって有利に使っている。強い相手と同じやり方で争う必要はないという物語の楽しさがある。
牛とオオカミの中へ|原作の結末を確かめる
少年は納屋に隠れて眠るが、翌朝、干し草と一緒に牛に食べられてしまう。牛の腹の中で、これ以上えさを入れないでくれと叫ぶと、使用人や家の人々は牛がしゃべったと思って驚く。やがて牛は処分されるという残酷な展開になる。現代の子ども向け再話では省略・変更されることもある場面として、原作と区別しておきたい。
さらに少年がいた部分をオオカミに丸飲みにされてしまう。しかし彼はそこでくじけず、オオカミに食べ物の豊富な家があると話し、自分の実家へ誘導する。オオカミは食べすぎて通り道から出られなくなり、少年が大声を上げたので両親が気づく。帰るための道筋を、危険な相手の食欲を利用して作ったのだ。
父親がオオカミを倒し、少年は外へ救い出される。両親は再会を喜び、もう二度と大金と引き換えに息子を手放さないと約束する。物語は家族のもとへ戻った少年が、食事と新しい服をもらう場面で結ばれる。冒険の成果は王位や財宝ではなく、家へ戻ることと家族の再確認である。
ペローの『親指小僧』との決定的な違い
ペローが1697年に刊行した『Le Petit Poucet』では、木こり夫婦に七人の息子がいて、貧しさのために親が子どもたちを森へ置き去りにしようとする。末っ子の親指小僧が石やパンくずを利用して道を見つけ、兄弟を助ける。グリム版の一人息子が馬の耳へ入る場面とは、出発点から異なる。
ペロー版には人食い鬼や七里靴が登場する。一方、グリム版の1857年本文では、旅の中心となるのは見せ物にしようとする男たち、盗賊、牛、オオカミであり、鬼や七里靴は出てこない。「親指小僧の結末は七里靴を手に入れる」と言うだけでは、グリム版を説明したことにはならない。
当サイトには既にペロー『親指小僧』1697年原作のあらすじと二つの結末の記事がある。本記事はその重複ではなく、別の編者・時代・筋立ての童話を、原文に基づいて比較するための補完記事である。両方を読むと、似た題材でも異なる物語が成立することがわかる。
1857年版を使う理由と、作品の権利
この記事で直接読んだドイツ語本文は、グリム兄弟『Kinder- und Haus-Märchen』第7版(1857年)第1巻194〜200ページの『Daumesdick』である。Wikisourceの本文には底本や紙面画像への参照があり、実際の書物に戻って確かめられる。版を明記することで、別の改稿版や翻訳と混同しにくくなる。
『Daumesdick』は第37話として1819年版から収録されたことが書誌に示されている。ペローの作品は1697年刊で、こちらは別の作家の作品だ。二人の作品の全成立経緯や、先に伝わった口承物語の系譜まで本記事で証明したわけではない。類似性があることと、一方が他方をそのまま書き換えたと断定することは違う。
グリム兄弟とペローの原著は、現在の日本では著作権保護期間を満了している。一方、現代の日本語翻訳、再話、挿絵には別の権利が存在し得るため、それらを転載せず原語の古典から独自の日本語要約と解説を作成した。原文が使えるからといって、新しい翻訳まで自由にコピーできるわけではない。
まとめ|小さな主人公の冒険は一つではない
グリム童話『Daumesdick』の1857年版では、親指ほどの少年が馬を動かし、見せ物にしようとする男たちから逃げ、盗賊を出し抜き、牛やオオカミの中を経て帰宅する。結末の中心は両親との再会と、二度と息子を手放さないという約束である。
ペローの『Le Petit Poucet』には七人兄弟、森への置き去り、人食い鬼、七里靴など別の展開がある。似た呼び名を持つからこそ、どの作者のどの版を読んだのかを確認したい。「親指小僧」と一言でまとめるより、作品ごとの違いを尊重した方が物語は豊かになる。
主要出典:グリム兄弟『Daumesdick』第7版1857年、KHM37、第1巻194〜200ページ、シャルル・ペロー『Le Petit Poucet』1697年版183〜229ページ。ドイツ語とフランス語の両原文を参照し、現代翻訳は転載していない。作品成立の詳細な伝承関係は未特定のため、筋の共通点だけで起源を断定しない。