はじめに|正解が一つに決まらない選択
転職するか今の仕事を続けるか、便利な街に住むか静かな土地で暮らすか。どちらにも魅力があって、比較しても答えが出ないことがある。哲学者ルース・チャンは、選びにくいことを自分の判断力の欠陥だと決めつけない考え方を2014年のTED講演で示した。
講演の英語題名は『How to make hard choices』。難しい選択とは、単に重大な選択という意味ではない。互いに異なる種類の価値を備えた選択肢の間で、どちらが総合的に優れているか決められない状況を考える話である。
講演者は、人生で選ぶべき正解を代わりに教えてはくれない。事実を調べても決まらない部分に、選ぶ本人が理由を作る余地があるという提案だ。与えられた理由を比較することと、何を大切にする人でありたいかを決めることを区別して読もう。
原典|2014年TEDSalonで語られた内容
TED公式記録には2014年5月のTEDSalon NY2014での講演と記されている。本人は選択や価値の比較を研究する哲学者で、講演では職業の選択に迷った経験にも触れる。話者、発表時期、議論の主題を公式記録で確認できるため、流通する短い言葉だけに頼る必要はない。
チャンが比較するのは、たとえば安定した収入と創造的な仕事、都会の利便性と地方での暮らしのような異質な価値だ。すべてを同じ点数へ置き換えられるとは限らない。数で測れる条件と、数値化しにくい価値を区別するのが講演の前提になる。
本人の経験を一般的な成功法則へ変えるのは慎重でありたい。人によって経済条件も家族の責任も異なる。誰にとっても同じ選択肢が用意されていると仮定せず、議論の核である比較の仕方に注目したい。
比較しても答えが出ないのはなぜか
単純な選択なら、重要な条件のほとんどで一方が優れていることもある。しかし難しい選択では、片方が仕事の自由度で勝り、もう片方が収入の安定で勝る場合がある。それぞれが別の魅力を持ち、全体での優劣が確定しない。
情報を十分に集めていないから迷う場合もあるが、調べ尽くしても残る迷いがある。年収や通勤時間は比較できても、仕事の意義や住みたい場所への思いを同じ尺度にはしにくい。情報不足による迷いと、価値が異なることによる迷いを分ける必要がある。
もちろん、情報収集をやめてよいという意味ではない。契約条件や費用、健康上の制約などは調べることに意味がある。調べれば分かる条件を確かめた後、なお残る問いにどう向き合うかが、この講演の中心である。
「同じくらいよい」とは違う価値の関係
チャンは難しい選択を、二つの選択肢がまったく同じ価値を持つ状態とは考えない。もし完全に同じなら、どちらを選んでも変わらないと言えるが、実際には選択によって暮らしや仕事の性質が違ってくる。同点という説明だけでは、その違いを捉えられない。
そこで提示されるのが、英語で「on a par」と呼ばれる関係である。比べられるが、どちらが上とも、完全に等しいとも言い切れない、という哲学的な見方だ。同じ種類の良さではないものが、価値の上で並び立つ可能性を考える。
これは価値の比較をめぐる一つの哲学的提案であり、あらゆる選択の正解を科学的に確定した主張ではない。それでも、迷っている自分が愚かだからだと考えるより、選択肢の価値そのものが異質なのかもしれないと捉える助けになる。
自分で選ぶ理由を作るという発想
講演の後半でチャンは、選択肢に最初から付いている理由を調べるだけではなく、自分がある道を支持することで理由を作る可能性を語る。評価表の点数だけでなく、自分は何を支持する人でありたいかを考えるのである。
理由を作るとは、存在しない証拠を捏造することではない。条件を理解したうえで、自分の時間や力をどの方向へ向けるかを決め、その選択へ責任を持つことだ。自分の価値観を明確にする行為と、事実をごまかす行為は別である。
また、すべての人が自由に仕事や住まいを選べるわけではない。経済的制約や家族の事情、社会の制度も影響する。主体的な選択を重んじることが、選べない事情を抱えた人への非難にならないようにしたい。
仕事や暮らしで考える三つの視点
第一に、事実として比較できる条件を調べる。収入、費用、契約内容、移動時間などは具体的な数字や書類を確認できる。価値観の話をする前に、誤った前提を減らすことが大切だ。
第二に、それぞれの選択肢がどんな生活や活動を支えるかを考える。今の安心を大切にするのか、新しい仕事で挑戦したいのか。同じ尺度で勝敗を決める前に、価値の種類そのものを言葉にすると考えやすい。
第三に、決めた後も新しい事実が見つかれば見直せる余地を残す。選択へ責任を持つことは、何があっても変更してはいけないという意味ではない。自分の判断を引き受けることと、現実の変化に合わせて修正することは両立する。
幸福や簡素な暮らしの思想と比べる
ダン・ギルバートの幸福研究を扱う記事では、選んだ結果に対する感情の予測を考えられる。チャンが扱うのは、選ぶ時点で何を理由とするかという問題だ。決断する理由と、決断した後にどう感じるかは異なる問いとして比較できる。
ソロー『ウォールデン』の「簡素に」という考え方も、何を大切にするかを見直す入口になる。ただしソローの生活実験とチャンの価値比較の議論は同じではない。資料ごとの主題を保ちながら関連性を探すことに意味がある。
人生についての言葉は、一つの正解を与えるより問いを深める相手として役立つ。講演の考えを仕事や暮らしへ当てはめるときも、自分の事情と資料の限界を確かめながら考えることが必要だ。
まとめ|難しい選択は人生を作る場面でもある
ルース・チャンの2014年TED講演は、正解が一つに定まらない選択を情報不足だけで説明せず、異なる価値が並び立つ関係として捉えるものだ。決めにくいことは、必ずしも判断能力の不足を意味しないという視点を示している。
事実を調べた後には、自分はどんな価値を支持し、どのような活動へ力を使いたいのかを考えられる。無条件に自由な選択ができるわけではないが、選ぶことを通じて自分の立場を明確にする余地は残る。
主要出典:TED公式・2014年講演『How to make hard choices』、TED公式講演者プロフィール。発表時期、選択肢の比較、本人が理由を作るという論点を公式記録に照合した。日本語の見出しは編集上の説明であり、字幕の転載ではない。