はじめに|「知らない」と言えることは弱さなのか
「知らないことを『知らない』と言える人間でありたい」。スピードスケートの小平奈緒が語ったこの言葉は、金メダリストの発言としては意外に控えめに聞こえる。世界の舞台で競い、結果を出してきた人でも、すべてを知っているわけではない。知識を誇るより、分からないことを隠さない姿勢を大切にしたいという願いが表れている。
何かを尋ねられたとき、答えられない自分を見せたくないことがある。「知らない」と言えば評価が下がると思い、曖昧な話を続けてしまう。しかし、分からない部分を明らかにして初めて、調べたり、詳しい人に聞いたりできる。知らないと認めることは、考えるのをやめることとは違う。
この言葉は一般の名言集から拾ったものではない。日本オリンピック委員会(JOC)が2022年6月16日に公開した本人インタビューに、前後の発言とともに掲載されている。小平の人生全体を一つの格言で説明するのではなく、どんな質問への答えだったのかから見ていこう。
出典|北京2022後のJOC本人インタビュー
JOCの特集「小平奈緒:オリンピックに学ぶ」は、北京2022冬季オリンピックの後、2022年2月19日に取材された本人インタビューである。インタビュアーが金メダリストとしての立場や信念を尋ねた場面で、小平は「知らないことを『知らない』と言える人間でありたい」と語っている。発言者、取材日、質問の文脈が公式原文で確認できる。
同じ答えの中で小平は、他人をすごいと思える心を持ちたいことや、人と関わり続けたいという思いも述べている。だからこの一節は、単に無知を認めればよいという話ではない。自分にないものを知り、他者から学ぶ余地を持ち続けたいという姿勢と一緒に語られた言葉なのだ。
なお、小平は2018年平昌オリンピック女子500メートルで金メダルを獲得し、北京2022にも出場している。ただし、この発言を平昌で金メダルを取った瞬間の言葉と紹介するのは誤りだ。競技結果と2022年の取材で語られた信念は、時期も場面も別である。
「知らないことを知らないと言う」|正確な判断の出発点
もし分からないことを、分かっているふりをして答えたらどうなるだろう。聞いた人は、その情報をもとに判断してしまうかもしれない。仕事でも勉強でも、自分が知っている範囲と、まだ確かめていない範囲を分けることが重要になる。
「知らない」と言うことには、不安を正直に表す面がある。しかし、それだけで十分というわけではない。必要なことなら次に調べる、人に聞く、確認してから返事をするという行動につながる。認めることと学ぼうとすることは、対立せずに続けられる。
もちろん、何でも「知らない」と言えば責任を果たせるわけでもない。専門的な仕事には、事前に知識を身につけておくべき内容がある。責任を放棄するための言葉ではなく、誤りを大きくしないための正確な自己申告として、この一節を受け取りたい。
他者を尊敬できる心|知らないことは学ぶ余地
小平は同じインタビューで、他人のすごさを認められる人間でありたいとも語っている。知らない分野を持つことは、ほかの誰かの知識や経験に出会う入口になる。自分が全部を知っていると思わなければ、相手から学ぶ理由が生まれる。
スポーツでも、強い選手が他者の工夫を参考にすることはある。反対に、勝った経験だけを絶対視すると、今の自分に必要な変化が見えにくくなるかもしれない。優れた結果を出したことと、学び終えたことは同じではないという見方ができる。
それでも、誰に対しても無条件に従えばよいという話ではない。専門家の言葉であっても、根拠や適用条件を確かめることは必要だ。尊敬する姿勢と、疑問を持って確認する姿勢は両立する。むしろ相手を真剣に理解しようとするなら、分からないことを尋ねた方がよい場合もある。
感情まで正直に扱う|自分を押し殺さないこと
この一節の後、小平は悲しいときには悲しいと言い、うれしいときにはうれしいと言えることも大事だと語っている。何も知らないふりをしない姿勢は、自分の感情を偽らないことにもつながっている。周囲に期待される「強い選手」の姿だけを演じ続けないという意味が見えてくる。
大きな大会を終えた直後には、結果に対するさまざまな感情が湧くことがある。実際、小平は北京大会で思い描いた結果を残せなかったことにも触れ、自分の状態を受け入れる大切さを話した。結果が思うようにならないときこそ、いまの自分を誤魔化さず見つめるという姿勢だ。
ただし、どんな感情でも必ず公の場で口にする必要があるわけではない。話す相手やタイミングを選び、心の中で整理する自由もある。正直であることと、すべてを無理に打ち明けることは別。自分に合った表現の仕方を尊重したい。
まとめ|学び続けるための「知らない」
小平奈緒の「知らないことを『知らない』と言える人間でありたい」は、2022年2月19日取材のJOC公式インタビューで確認できる本人の言葉だ。金メダルを得た人だからこそ、何でも知っていると思われかねない立場で、分からないことを認め、他者を尊敬する姿勢を重視している。
私たちは毎日新しい状況に出会い、知らなかったことに気づく。「知らない」は恥ずかしい答えに感じられるかもしれないが、必要なら次の質問を始められる。分からないことを隠さず、学び続けるために使うのであれば、この短い言葉は十分に力を持つ。
原典はJOC公式「小平奈緒:オリンピックに学ぶ」(2022年6月16日公開、2月19日取材)。関連する異なる視点として、古川聡「すべての夢が必ずしもかなうわけではない」も読める。発言の原文と取材場面は本人への一次取材で確認し、仕事や生活への応用は記事独自の解釈として区別した。