はじめに|「つれづれなるままに」は、優雅な暮らしの言葉?
「つれづれなるままに」。兼好の『徒然草』を象徴する有名な書き出しだ。音の調子が柔らかいため、のんびりと文章を楽しむ様子を思い浮かべるかもしれない。しかし、「つれづれ」は単に自由な時間があって楽しいという意味ではない。何もすることがなく、手持ちぶさたになる感覚を含んでいる。
この一節に続くのは、硯に向かい、頭に浮かぶことをとりとめなく書いていく姿だ。大きな目的を宣言するわけでも、人生の正解を読者へ示すわけでもない。自分の心がどこへ向かうか分からないまま書き始めるという、少し不安定な出発点が興味深い。
「何もしない時間は無駄だ」と考えがちな現代にとって、この序段は想像以上に身近だ。目的を決めて書くこととは別に、書きながら初めて気付くこともある。言葉を作品全体から切り離さず、後続の文章を読んで初めて見える意味を確かめたい。
出典|『徒然草』序段と底本の表記
国民図書刊『校註日本文學大系』第三巻を底本とするWikisourceの『徒然草』には、冒頭に「つれ〴〵なるまゝに」という表記がある。一般的な「つれづれなるままに」は、踊り字や仮名遣いを現代の読みやすさに合わせた形だ。普段見かける表記と、参照底本にある文字を区別できる。
続く文は一日中硯に向かい、心に浮かぶ「よしなしごと」を書き付けるという趣旨である。ここで筆者は自分が何をしようとしているのかを、具体的な動作として示している。書き手自身の行為を描いた序段であり、第三者の名言を引用した場面ではない。
ただし『徒然草』には写本、版本、校訂本文が数多く残り、章段の区切りや表記にも違いがある。成立年をある一日に決めることもできない。今回の出典確定は底本にある該当箇所についてであって、すべての伝本を照合したとの主張ではない。
「つれづれ」の意味|空いた時間と退屈の間
「つれづれ」は手持ちぶさたな状態を表し、ただ楽しい休暇という意味ではない。休みの日なのに何もしたいことが見つからず、落ち着かない時間を過ごす感覚に近い面がある。時間が余っていることと、心が満たされていることは別だ。
一方で、退屈は必ずしも悪い体験だけを生むわけではない。人は予定で埋まっていないとき、ふだん意識しない記憶や疑問に気付く場合がある。序段では、そのように浮かぶ思いをそのまま文章へ移している。書くために考えを完成させるのではなく、考えの動きを書くと読める。
ただし、現代の心理学の言葉で兼好を診断するのは適切ではない。作品の序段が示しているのは文学上の筆者の状態であり、本人の一生を説明する臨床記録ではない。現在の生活への応用と、中世の文章が実際に述べていることは分ける必要がある。
硯に向かう意味|書くうちに思考が姿を現す
硯は筆で文字を書くための道具だ。「日暮らし、硯に向ひて」という動作があるため、この序段は抽象的な思索だけでできているのではない。思考するという内面的な動きが、書きつけるという身体的な行動に結び付いている。
「よしなしごと」は、まとまった論文の主題とは異なる、とりとめのない思いだ。「そこはかとなく」書くという表現も、決まった順番を先に設定しているわけではないことを示す。不規則に浮かぶものを、無理に一つの結論へ押し込まないという書き方である。
もちろん、すべてを思いつくまま書けば必ず良い文章になるという意味ではない。『徒然草』自体は数多くの段からなる作品で、編集と伝本の歴史もある。序段の自由な書き始めを、作品の構成がまったく考えられていない証拠にしないことが重要だ。
最後の一節|「物狂ほしけれ」の不穏さ
序段は、書いてみると「怪しうこそ物狂ほしけれ」という趣旨で終わる。のどかな趣味の紹介として始まったと思うと、この結末には少し意外性がある。自分でも不思議なほど気持ちが変になるようだ、という感覚まで書き込んでいるからだ。
何でも気軽に書いているようで、書き手は自分の行動を少し離れた場所から眺めてもいる。何かに没頭する自分を、必ずしも立派だと褒めていない。自分を観察し、時にはおかしみを感じる視点が序段の魅力になっている。
この終わり方を省くと「暇があるときは文章を書こう」という前向きな標語だけが残ってしまう。だが、原文には奇妙さや落ち着かなさもある。明るい教訓を得るために、作品に含まれる居心地の悪さを消さない読み方をしたい。
まとめ|目的がなくても、書くことは始まる
「つれづれなるままに」は、『徒然草』の序段にある、手持ちぶさたな状態から書くことへ向かう一節だ。出典となる底本の冒頭と後続文を直接確認すれば、言葉の意味を「悠々自適」だけに狭めずに済む。
日々の生活でも、すぐに役立つと分からない考えを書きとめることはできる。書きながら自分が何を気にしているのかに気付くこともあるだろう。ただし、それは作品から読み取る現代的な応用だ。兼好が現代の仕事術を説いたと断言しないことも大切である。
原典照合はWikisource・『校註日本文學大系』底本の『徒然草』序段、比較は『徒然草』第59段「大事を思ひ立たん人は」を参照。原典の冒頭に文言を特定できるため出典タグ114とした。