はじめに|自分の中に相反する気持ちがある
「Zwey Seelen wohnen, ach! in meiner Brust」。ゲーテ『ファウスト』第一部にある有名な言葉で、「ああ、私の胸には二つの魂が住んでいる」と訳せる。一人の人間が、互いに違う方向へ引かれる思いを同時に抱えているという感覚を、二つの魂が同居する姿で表している。
落ち着いた暮らしを続けたい気持ちがある一方、新しい世界へ飛び出したくなることもある。誰かと親しくなりたいのに、一人で考える時間も欲しくなる。気持ちの矛盾を、どちらか一方が偽物だからだと簡単に切り捨てられない場合がある。
ただし、この言葉はゲーテ本人が心理学的な法則として発表した説明ではない。悲劇の主人公ファウストが、友人ワーグナーとの会話で語った台詞である。二つの魂が何を求めているのかを、続く詩句から確認したい。
原典|『ファウスト』第一部「門の外」第1112行
出典はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『Faust. Der Tragödie erster Teil(ファウスト 第一部)』。場面「Vor dem Tor(門の外)」で、主人公がワーグナーへ話す第1112行に「Zwey Seelen wohnen, ach! in meiner Brust」とある。作品名、場面、話者、原語、行番号を直接照合できる。
1808年の初版本文に近い綴りでは、現在よく見かける「Zwei」ではなく「Zwey」と記されている。どちらも「二つ」を指すが、出典確認では文字の形も大切だ。現代的な正書法への書き換えと、歴史的な版の逐語引用は区別する。
原文はFausteditionの『ファウスト』第一部「門の外」、1808年版本文はドイツ語Wikisourceの初版73ページで確認した。日本語訳だけでなく、ドイツ語本文を行番号とともに参照できる。
「二つの魂」|地上への愛と高みへの憧れ
第1112行の次には、二つの魂の一方が他方から離れようとするという表現が続く。さらに一方は地上の世界を強く抱きしめ、もう一方は塵から高く身を持ち上げようとする。身体に根ざした喜びと、精神的な高みを目指す衝動とが衝突している。
ここで二つの魂を単純に善と悪だと割り切るのは早い。地上への愛には生きる喜びがあり、高みを求める気持ちにも限界を越えたい切実さがある。どちらも本人にとって現実の欲求だからこそ、簡単には一つへまとまらない。
この比喩が印象的なのは、異なる考えが「交代で」現れるのではなく、同じ胸に住んでいると語ることだ。互いに矛盾する願いを同時に抱えるという状態が、身体的なイメージで伝わる。
ワーグナーとの会話|書物の喜びから離れて
この場面では、ワーグナーが書物を読むことや学問の喜びを語る。それに対してファウストは、相手は一つの衝動しか知らないのだと述べ、自分の内側にある二つの魂を語り始める。満たされた知的生活の話から、満たされない人間の欲求へ会話が移る場面である。
ファウストはただ勉強を否定しているわけではない。知的な探究を重ねながらも、それだけでは足りないという不満を抱えている。知識を得ることと、生きることへの実感が満たされることは同じではないという問題が見える。
それでも、主人公の不満を作者がすべて肯定していると断定するのは不適切だ。登場人物の魅力と、その人物が物語の中で下す判断の妥当性は別であり、台詞はその後の展開へつながる手がかりとして読むべきだろう。
現代の読み方|矛盾をすぐに消さなくてもよい
仕事を続けながら別の分野を学びたい、安定した生活を守りながら新しい挑戦もしたい。二つの願いが同時にあると、どちらかを選べない自分が未熟なのではと感じることがある。矛盾を抱えているという事実は、ただちに判断力がないことを意味しない。
ただし、二つの願いが両立するとは限らない。時間や体力には限界があり、実際には優先順位を決める必要もある。自分が何に引かれているのかを正確に理解することが、選択の前提になる。
また、この一節を文字通り人間には二つの魂が存在するという科学的な説明として扱うべきではない。文学の比喩を通じて、自分の中の相反する感情を見つめるという読み方なら、時代が変わっても響く。
まとめ|引き裂かれる気持ちを言葉にする
「Zwey Seelen wohnen, ach! in meiner Brust」は、ゲーテ『ファウスト』第一部「門の外」第1112行で、ファウストがワーグナーへ語る台詞である。校訂本文と1808年版で行番号・話者・原語の字句を照合できるため、出典確認済みとする。
二つの魂は、単純に善と悪を分けるための表現ではない。地上の世界にとどまりたい思いと、高みに向かいたい思いが、同じ人間の中で争うことを描いている。
原文はFaustedition「門の外」にある。別の文学作品で心のあり方を扱ったミルトン『失楽園』「心はそれ自体が一つの場所」と比べると、心を自由な場所として語る人物と、心の中の分裂に苦しむ人物の違いが見えてくる。