アン・ブラッドストリート「二人が一つになれるなら、それは私たち」の意味と出典|『To My Dear and Loving Husband』

はじめに|二人が一つになれるなら

「If ever two were one, then surely we」。詩人アン・ブラッドストリートの『To My Dear and Loving Husband』は、「もし二人の人間が一つになることがあるなら、それはきっと私たちだ」と語り始める。自分と相手の結びつきの強さを、二人が一つになるという逆説的なイメージで表す愛の詩である。短い第一行には、誇らしさと親密さが込められている。

誰かと長く生活をともにすると、自分一人の予定だけではなく、相手が何を考え、どのように感じるかにも自然と目が向くようになる。それでも、人と人は完全に同じ存在になるわけではない。違う二人でありながら、強くつながることはできるのか。この冒頭にはそんな問いも潜んでいる。詩の語り手は、その問いに迷わず自分たちだと答える。

ただし、作品を「夫婦は常に同じ考えでなければならない」という命令に読み替えるのは適切ではない。詩の語り手が喜びを込めて述べる表現であって、他人の関係を評価する基準ではない。愛情がどのような言葉の重なりで示されるのかを、十二行全体から考えたい。後半では金や水、天への祈りまで登場する。

原典|1678年版に収められた十二行の詩

出典はアン・ブラッドストリートの詩『To My Dear and Loving Husband(愛する夫へ)』。トロント大学のRepresentative Poetry Onlineは、1678年にボストンで刊行された『Several Poems』第二版の本文を原資料として示す。作者、作品名、冒頭の英語と全十二行の構成を、出版年の分かる校訂資料で確認できる。ブラッドストリートの没後に刊行された版の本文である点も明確にしたい。

ブラッドストリートは十七世紀のイングランド出身で、北米のマサチューセッツ湾植民地で生活した詩人である。夫はサイモン・ブラッドストリートとして知られる。作品の「愛する夫」という呼びかけには伝記的な背景があるが、すべての表現を日記の事実と同一視する必要はない。作者の生活を知ることと、詩の語りを読むことは別の作業である。

原文はトロント大学Representative Poetry Onlineの1678年版に基づく本文とPoetry Foundation掲載本文で照合した。前者の「lov’d」「Mines」などの綴りと現代の掲載本文に表記の違いがある。一方、冒頭の「If ever two were one」という言葉は双方で確認できる。

「If ever」|仮定を重ねて愛を語る

詩の冒頭から三行には「If ever」という同じ言い方が繰り返される。二人が一つになれるなら、夫が妻から愛されたことがあるなら、夫によって幸せになった妻がいるなら、と条件を重ねる。論理的な議論に似た形を借りながら、相手への強い確信を示している。単なる感嘆だけでなく、順を追って愛の輪郭を描こうとするのである。

その後、ほかの女性たちへ、できるものなら私と比べてみてほしいと呼びかける。これは詩の語り手の大きな喜びを強調する言い方として読める。他人の幸福を実際に競って判定したという報告ではなく、自分の愛情の強さを表す詩的な主張である。聞き手が夫からほかの女性へ一瞬広がるところも、文章の勢いを作る。

繰り返される仮定は、何かが本当に成立するか分からないという疑念だけを示すのではない。もし世の中にそんな結びつきが存在するなら、私たちこそその例なのだと、誇らしげに語る声になっている。だから、詩の一行目だけを読む場合にも、後続の二つの仮定や比較まで知っておくと語り手の調子がよく分かる。

金や東方の富より大切なもの

中ほどでは、夫の愛は金鉱山の金や東方の富よりも価値があると語られる。十七世紀の読者にとって、遠くの地域の富や金は大きな価値を連想させる表現だった。誰もが大切だと考えそうな財宝を出し、それでも相手の愛の方が大切だと示す比較が用いられる。数えられるものを持ち出すから、数えられない愛の大きさが際立つ。

さらに、水をたくさん注いでもこの愛を消すことはできないという意味の表現が続く。聖書の『雅歌』と響き合う比喩としても読まれる。愛情の強さを財宝と水という異なるイメージで重ね、目に見えない思いに形を与えているのである。金のように所有できるものから、水のように流れるものへ比喩が移る変化も興味深い。

しかし、この詩が愛さえあれば物質的な困難を無視してよいと説いているわけではない。食べ物や安全な住まいは暮らしに必要である。金や財産の価値と人間関係の価値を同じ物差しで測れないことを、あえて比較の形で表していると理解できる。大げさな比喩が、現実の生活の重要性をすべて消すわけではない。

返しきれない愛と永遠への願い

詩の後半では、夫の愛はどのようにしても返しきれないので、天が大きな報いを与えてくれるようにと祈る。自分が受け取っているものを、損得の計算を超える大切さとして認める言葉になっている。受け取ったものと同じ価値を返したいという気持ちはあっても、それを簡単に数値化することはできない。そこで、語り手の願いは自分の手を離れて天へ向かう。

結びでは、生きている間は互いに愛し続け、命が終わった後も永遠に生きることを願う。日常の夫婦の愛から、死後という宗教的な時間の広がりへと詩が進む。宗教的な文脈を抜きにして永遠の愛が現実に保証されると主張しているわけではないが、祈りの形によって一人の生涯よりも長い時間を想像している。

現代では、夫婦でも考えや好みが違い、それぞれの活動を続けることは自然である。「二人が一つ」を、文字どおり一人の意思だけで動く関係とみなす必要はない。違いを持った二人が互いの存在を大切にすることも、強い結びつきの一つの形だ。詩の幸福を、ほかのすべての関係へ押しつける規則に変えずに読みたい。

まとめ|二人の愛を十二行に収めた言葉

「If ever two were one, then surely we」は、アン・ブラッドストリート『To My Dear and Loving Husband』の冒頭行に確認できる。トロント大学の1678年版に基づく本文とPoetry Foundationの校訂本文を照合できるため、出典確認済みとする。作品の形式は十四行のソネットではなく十二行から成り、同じ表現の繰り返しと比喩によって全体が結びついている。

この詩は、夫婦が同じ意見しか持ってはいけないという教えではない。仮定の繰り返し、金や水の比喩、返しきれない愛、永遠への祈りを通して、一つの関係への深い思いを形にしているのである。長い説明をせずとも、誰に何を伝えたいかが最初の一行から明確になっている。だからこそ時代を越えて読まれるのだろう。

原典はRepresentative Poetry Onlineの詩本文。別の女性詩人の愛の表現として、E・B・ブラウニング「どれほどあなたを愛しているのか」とも比べられる。同じ愛情でも、十二行の仮定と十四行の列挙で異なる世界が開かれる。それぞれの言葉が何を大切にしているのかが、よりよく見えてくる。

ほかの記事を探す

記事の訂正・出典情報は、お問い合わせから該当記事のURLと根拠資料をお知らせください。