『ダンマパダ』「怨みは怨みによって鎮まらない」の意味と出典|第5偈の非怨

はじめに|怨みを怨みで返したらどうなるか

「Na hi verena verāni sammantīdha kudācanaṃ」。仏教の詩句集『ダンマパダ』第5偈は、怨みは怨みによっていつまでも鎮まることはないと述べる。続く「Averena ca sammanti」では、怨みのないあり方によって鎮まると語る。相手から受けた仕打ちに同じ仕打ちを返すことで、対立が長引いてしまうという問題を示す言葉だ。

言い返されたら言い返す。責められたら責め返す。そんなやり取りは、始まりが小さくても次第に大きくなる場合がある。自分の返答が相手にどんな反応を生むかを考えるとき、この短い詩句は一つの視点になる。

ただし、被害を受けた人にひたすら我慢せよと命令する言葉として使うのは適切ではない。怨みを増やさないことと、自分や他者の安全を守ることは別の問題であり、境界線を示したり支援を求めたりする必要がある場面もある。

原典|『ダンマパダ』第1章・第5偈

出典はパーリ語仏典『ダンマパダ(Dhammapada)』の第1章「双品(Yamakavagga)」第5偈である。OpenTipitaka掲載本文は「Na hi verena verāni, sammantīdha kudācanaṃ; Averena ca sammanti, esa dhammo sanantano」と記す。作品名、章、偈番号と原語の四つの節を直接照合できる。

「verena」は怨みや敵意によって、「verāni」は複数の怨みを表す。「averena」は、敵意を伴わないことを示す。単に相手を好きになれという話ではなく、怨みを返すか、怨み以外の仕方で応じるかという対照が、原語の構造に表れている。

原文はOpenTipitaka『ダンマパダ』第5偈とNalanda Buddhist Societyのパーリ語・訳語対照で照合した。翻訳では「非怨」「愛」「友愛」など表現の幅があるため、特定の日本語訳だけが唯一の逐語訳であるとはしない。

前後の第3・4偈|記憶し続ける傷

第3偈では、あの人に悪口を言われた、打たれた、負かされた、奪われたという思いを抱え続ける人について語る。第4偈は、それを抱え続けない人について述べる。第5偈の「怨みは怨みによって鎮まらない」は、過去の仕打ちを繰り返し思い起こす問題の後に置かれている。

ここで、傷ついた出来事を無理やり忘れることが簡単だと考えるべきではない。重大な被害は時間をかけても苦痛が残ることがある。仏典の詩句がどのような態度を勧めているかと、現実に傷ついた人が必要とする支援を混同しないことが大切だ。

第3偈と第4偈の対照を踏まえると、怨みを返す行動だけでなく、過去の経験をどのように心に抱えるかという内面的な問題にも目が向く。相手を罰することだけでは、自分の中に残った痛みまで自動的に消えるわけではないという見方ができる。

「Averena」|非怨は無抵抗と同じではない

「Averena」は怨みを持たないこと、敵意によらないことを示す語である。相手に害を加え返す以外の手段を選ぶ余地を、この言葉から考えられる。

例えば、攻撃的な言葉を受けたとき、同じ言葉を投げ返すのではなく、会話を中断する、事実関係を確かめる、第三者に協力を求めるといった行動もある。対立を拡大しない選択は、何もせず耐えることとは限らない。

ただし、仏教の教えを根拠として法律上の権利を放棄したり、暴力から身を守るための行動を控えたりする必要はない。心の中で怨みを手放すことを考える場合でも、安全の確保や被害への適切な対応は別に必要である。

「esa dhammo sanantano」|古くから続く道理

第5偈の結び「esa dhammo sanantano」は、これが昔から変わらない法則や道理だと述べる。たまたま一度うまくいった処世術ではなく、人間関係に繰り返し表れる傾向を強い言葉で示していると受け取れる。

もっとも、怨みを返さなければ必ず相手がすぐに変わると保証する実験結果ではない。攻撃する側が行動を続ける場合もあり、環境や制度の問題が残る場合もある。詩句が示す倫理的な方向と、すべての対立の結果を予測する科学的な法則は区別する必要がある。

次の第6偈では、人々が争いの中で自らの終わりを十分に理解していないことと、それを知る者の争いが鎮まることが対比される。相手を言い負かすことだけを考えるより、自分も相手も限りある存在だと知るという広い視点につながっている。

まとめ|怨みの連鎖から離れるために

「Na hi verena verāni」は『ダンマパダ』第1章「双品」第5偈に確認できる。パーリ語本文と前後の第3・4・6偈を直接照合し、敵意を敵意で鎮められないという文脈を確認できるため、出典確認済みとする。

この言葉は、被害を受けても黙って受け入れなければならないという命令ではない。怨みを返すことで生まれる新しい怨みから、どう距離を取るかを問う詩句として読むことができる。

原典はOpenTipitaka『ダンマパダ』第5偈。人間の判断を自分の側の意見だけに閉じ込めないよう説いたミル『自由論』「自分の側しか知らない者は」と比べると、対立に向き合うときの心構えと、反対意見を検討する手続きの違いが見えてくる。

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